徒然日記
国会のヤジ【25年11月2日 『逢坂誠二の徒然日記』8341回】
今日は十三夜です。
1)国会のヤジ
国会でのヤジについて、石垣のり子参議院議員が、先日、Xに次の投稿をしました。
==以下、引用==
国会でのヤジについて、「子どもに見せられない」「教育上よくない」といった批判がしばしば聞かれます。
日頃から「人の話はきちんと聞きなさい」と子どもに教えている大人にとっては、テレビで議員たちが総理や閣僚の発言にヤジを飛ばす姿を見せられたとき、説明に困るのかもしれません。
しかし、子どもへの教育と国会における議論とは、目的も立場もまったく異なります。
確かに「人の話を聞く」ことは大切ですが、国会は意見の違いを前提とした政治の場であり、議員は国民の代表として、政府の方針に疑義や不満を感じるとき、それを表明する責任を負っています。
その表現の一つが「ヤジ」です。もちろん、人格攻撃や差別的な言葉は許されませんが、政策や答弁への即時的な反応としてのヤジまでを、単に「無作法」と切り捨ててしまうのは、議会制民主主義の理解として浅いのではないでしょうか。
むしろ、大人に問われているのは「人の話を聞くこと」と同時に、「理不尽やごまかしに対して声を上げること」の両方の価値を、どう教えるかではないかと思います。
==以上、引用終了==
私も、国会でのヤジは一般的には控えるべきものだと思います。
しかし同時に、拍手も歓声もヤジもない国会を想像すると、ぞっとする気持ちもあります。
そこには、熱意や魂のこもらない、形だけの議論しか残らないように感じるからです。
そんな国会に、国民はきっと失望するでしょう。
そもそも、鋭いヤジを飛ばすには、相手の発言の背景や政策の中身を理解していなければなりません。
つまり、鋭いヤジには「勉強」と「洞察」、そして「反射神経」が必要です。
多くの議員が一斉に声を上げるような場面では、確かに烏合の衆のように見えることもあります。
しかし、議場が静まり返ったその一瞬に、満を持して放たれる一言が、相手の矛盾を鋭く突くことがあります。
そうしたヤジこそ、聞く者にも納得を与える、政治の緊張感と真剣さを映し出すものだと思います。
いずれにしても、ヤジはただ大きな声で四六時中、叫べば良いものではありません。
相手への敬意と、議論への真摯さを内に秘めた上での一言こそが、本当の「ヤジ」だと私は思います。
【25年11月2日 その6644『逢坂誠二の徒然日記』8341回】
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