徒然日記
日銀のETF売却は100年?【25年9月21日 『逢坂誠二の徒然日記』8299回】
1)日銀のETF売却は100年?
ETFとは「株の詰め合わせパック」であり、株そのものです。日銀が保有するETF残高は、2025年3月末の簿価ベースで約37兆円、時価ベースで約70兆円、これは東証プライムの時価総額の約7%強と推定されています。19日、日銀がこのETFの売却を決めました。今日はその経過などです。
<限定的なETF購入>
2010年に日銀が導入したETF買い入れは、中央銀行が株式市場に直接関与する異例の政策でした。当時は円高・株安・デフレが深刻化しており、通常の国債買い入れなどの金融緩和だけでは景気や物価の下支え効果が十分に得られない状況にありました。そのため、投資家の不安心理をやわらげ、株価を一定程度下支えする象徴的かつ試験的な手段として、ETF買い入れが導入されました。ただし規模は年間数千億円から1兆円程度と小さく、あくまで補完的で限定的な位置付けにとどまっていました。
(これは激しい痛みがある際に使う、一時的に使う強い解熱鎮痛剤です。)
<ETF購入が政策の主軸に>
一方、2013年に黒田総裁の下で開始された大規模な量的・質的金融緩和では、ETF買い入れの性格は大きく変わりました。デフレ脱却と2%の物価目標の達成を明確に掲げ、その実現に向けてあらゆる政策手段を動員する中で、ETF買い入れも主軸の一つに位置付けられたのです。買い入れ額は当初1兆円規模から数兆円へと拡大し、2020年のコロナ禍には最大で年12兆円にまで膨らみました。こうして2010年当初の象徴的・試験的な措置は、2013年以降には制度化された大規模な政策として、日銀の緩和戦略の中心的役割を担うまでに変化したのです。
(痛みが多少和らいだのに、連続投与できない強い解熱鎮痛剤を使い続けたのです。)
<ETF保有のリスク>
日銀が多額のETFを保有することには、いくつかのリスクがあります。
第1に、株価変動によって損益が大きく変動し、日銀のバランスシートが不安定化する懸念があります。
第2に、ETFを通じて日銀が多くの企業の「大株主」となった結果、企業のガバナンスや市場の価格形成に歪みをもたらす可能性があります。
第3に、いざ売却しようとすれば株価急落を招きかねず、処分そのものが新たな市場リスクとなる点です。
<ETFの売却には100年以上>
こうした副作用を踏まえ、植田総裁のもとで2024年にETFの新規購入を停止し、この9月19日に市場での売却を決めました。市場株価に影響を与えないように年3300億円程度という極めて緩やかなペース売却することになります。これは「市場の安定を最優先しつつ、100年以上の超長期で残高を縮小する」という戦略です。
簡単にまとめると以下です。
2010年=「試験的限定的導入」
2013年以降=「政策主軸」
2020年=「最大膨張」
2025年=「出口へ(100年単位)」
<通常の金融政策が難しい>
日銀が大量のETFを抱え込んだ結果、金利操作を中心とする通常の金融政策が当面は行いにくい異常な状況となっています。そこで植田総裁のもとで新規購入は停止され、極めて緩やかな売却が始まりますが、残高整理には100年以上を要する見通しです。これはアベノミクスの大きな負の遺産であり、私たちはこの異次元の制約を冷静に踏まえつつ、今後の金融・経済政策の展開を考えていかねばなりません。
【25年9月21日 その6602『逢坂誠二の徒然日記』8299回】
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皆様のコメントを受け付けております。
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トコロン様、逢坂誠二です。
ご丁寧なご指摘をいただき、誠にありがとうございます。
今回の日記は、金融緩和全体ではなく特にETFだけに論点を絞ったため、言葉足らずの部分がありました。
ETFに的を絞っているのであれば「ETF購入が政策の主軸に」ではなく、「ETF購入が常態化」などの表現にすべきでした。
日銀の金融緩和政策の中心が国債買入にあることも、ご指摘の通りです。国債残高が500兆円を超える中で、国債の償還や借換が今後も不可避であり、金利政策への大きな制約となっていることは、私も深刻に受け止めています。ETF残高は規模で見れば国債に比べ小さいとはいえ、その異常な性質や市場への影響を考え、私はあえてETFに焦点を当てて問題提起をいたしました。
金利操作が困難となっている最大の要因が国債保有である点についても、改めて明記すべきであると考えます。
今回はETFに的を絞った内容だったにも関わらず、金融緩和全体の議論との線引きが曖昧な表現があり、今後は十分に留意して参ります。最後に、100年以上という出口戦略についてのご懸念も全くその通りで、現在を生きる世代が責任を果たさないまま未来にツケを残すことは、原発や気候変動問題と同様に重大な倫理的課題だと私も考えています。
私自身、「これほど長期の異常な構造を残したこと」そのものが、アベノミクスの負の遺産であり、責任ある検証と総括が不可欠であると認識しております。改めての貴重なご指摘に感謝申し上げます。今後も率直なご意見を頂ければ幸いです。
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逢坂誠二様
まさかの直接のご返信、ありがとうございます。
党の役職に就かれてますますお忙しいことは存じ上げていただけに、
ETFに絞った内容で、早朝の限られたお時間でさらに国債購入にまで
言及いただくことは時間的にもおそらく難しい(後者の方が長くなってしまう)
ことへの想像が欠けておりました。この点反省しております。国債購入とアベノミクスの本質的な問題点をご理解下さっている点、
心強く、ありがたく思いました。検証と総括がなされることを願っております。量的な深刻度では国債買入に及ばないとはいえ、質的にはETF購入も
歴史的にも類を見ない悪質さですね。
上場企業の中でもさらにごく一部のETF構成企業の株主に、中央銀行が
直接金を配ったに等しい(利益供与、しかも円の価値を毀損して)のですから。
効果や副作用以前の問題でもあり、他国のように明確に禁止すべきと
考えます。別件でこの場をお借りしますが、先日逢坂さんが野田代表の姿勢への
疑問を書かれた際に随分批判があったとのお話には、驚き、呆れました。
疑問や異論を発することのできない組織の方がよほど不健全であり、
また、選挙では党の公約だけではなく、議員個人が何をどう考え
どのような活動をしているのかも有権者にとっては重要な
判断要素なのですから、今後も疑問、信念、ご活動、何でも
ご発信いただければと思います。引き続き拝読し、折々コメントなどさせていただきます。
誤認なのか意図的なのか、後者なら非常に悪質ですが、
いずれにしても不正確な点が多くあります。
1. 「ETF買い入れは、中央銀行が株式市場に直接関与する異例の政策でした」
→異例どころか少なくとも欧米先進国では禁じ手で、法律上買い入れ対象として
認められていません。
2. 「これは激しい痛みがある際に使う、一時的に使う強い解熱鎮痛剤です」
→解熱鎮静剤どころか麻薬です。だから禁じ手なのです。
3. 「ETF購入が政策の主軸に」
→ETF購入もさることながら、日銀の金融緩和の中心は国債買入でしょう。
簿価37兆円のETFに対し、保有国債残高は500兆円を超えているのですから。
国債はETFと異なり、最長40年の満期がくれば償還ですが、
その後も毎年の財政赤字が解消しない限り国債発行は避けられず、
他に引き受け手がいなければ再度日銀が借換債を保有することになるでしょう。
現に今年6月にも、日銀は国債買入の減額ペースを落とし、つまり買い入れを
予定よりも増やしています。
経済規模、財政規模に対してこれほど大量に国債を保有している中央銀行は
少なくとも先進国では日銀以外になく、他国並みの保有残高になるまでには
一体何百年かかるのか?道筋さえ示されていないわけです。
そして、政策金利を上げれば国債価格が下がり、保有国債の暴落で
日銀が巨額の債務超過になることから、このインフレ下で金利を上げることも
できません(政府の国債利払い額が膨れ上げることも金利を上げられない
もう1つの理由です)。
金額面でも負の遺産の甚大さでも、ETFとは桁違いの深刻さです。
4. 「日銀が大量のETFを抱え込んだ結果、金利操作を中心とする
通常の金融政策が当面は行いにくい」
→金利操作ができないのはETF購入とは直接関係ありません。
上記の通り、国債買入が原因です。
明日以降もこのテーマを続けるなら、もう少し正確に
書いていただきたいところです。
それにしても、「売却に100年以上」、現在生きている人がおそらく
誰も完了を見届けることのできない、そんな計画や政策がそもそも
倫理的に許されるのか?
100年後のことなど誰にもわかりません。
大災害や経済危機だってあるでしょう。
EFTの株の詰め合わせパックの中から、倒産や上場廃止に
なって株価がゼロになる企業も出てくるでしょう。
そもそもこれら一連の政策は、10年程度で実行したものです。
その後始末も10年か、せいぜい20年以内、責任者の多くが
生きている間に行うべきではないでしょうか。
どんな甚大な副作用が生じようと、それに向き合い反省し、
教訓を後世に残すのがせめてもの責任だと思います。
どんな言葉を使おうがこの100年計画は「後は野となれ山となれ」と
言っているのと同じで、原発や気候変動問題と同様に
あまりにも無責任、怒りと共に暗澹たる思いです。