徒然日記

ニセコ町の地域づくり(逢坂誠二の徒然日記)

【25年8月20日 『逢坂誠二の徒然日記』8267回】
午前4時の都内は気温26度、雲が少なく星が輝いています。東の空には、月齢25日の細い月とともに金星と木星が並び、夜明け前の静けさを照らしています。日中は晴天が続き、36度前後の厳しい暑さとなる見込みです。

昨日、道南地方では前線の影響により大雨が降り、床上浸水などの被害が発生しました。被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。私の事務所でも関係機関からの情報収集に努めてまいりましたが、今日の朝以降は、農業等への影響も含め被害状況をさらに的確に把握し、今後の対策に全力で取り組んでまいります。

1)ニセコ町の地域づくり
ニセコ地域で外国資本などによる開発が行われ、不動産や食料品価格などがバブル状態になっていることが話題になっています。
ニセコエリアは、ニセコ町、倶知安町、共和町、岩内町、蘭越町で構成されています。今、指摘される開発の多くが倶知安町であり、ニセコ町はそれとは違う道を歩んでいます。こうしたことについて、雑誌「文藝春秋9月号」でジャーナリストの吉松こころさんがリポートしております。以下にその要約を添付します。

==以下、要約==

ニセコエリアは世界的なリゾートとして知られるが、そこで語られる「1泊600万円のホテル」「坪100万円超の地価」などの加熱ぶりは主に倶知安町での現象である。蘭越町は農業中心の地域であり、ニセコ町は観光産業を抱えつつも、倶知安のような不動産バブルとは距離を置き、住民主体のまちづくりを基盤としてきた。人口約5000人の小さな町に年間160万人が訪れるが、地価は倶知安の5分の1以下と比較的安定している。

ニセコ町の発展の背景には、1990年代半ば以降の住民と行政の努力がある。スキー場のコース外滑走による事故を防ぐために住民や専門家が議論を重ね、2001年に「ニセコルール」を制定。以降、このルール下で死亡事故は一件もなく、国際的に高い評価を得た。また、町内では1995年から尻別川の清掃活動が始まり、流域の自治体と連携して「清流日本一」を守っている。

こうした住民参加の土台を築いたのが、1995年に35歳で町長に就任した逢坂誠二である。情報公開と住民参加を徹底し、日本初の自治基本条例「ニセコ町まちづくり基本条例」(2000年)を制定。町民全戸には予算の分かり易い説明冊子「もっと知りたい今年の仕事」も毎年配布され、会議公開や行政の透明化を制度化した。さらに2003年には全国初となる観光協会の株式会社化を実現。行政依存ではない仕組みをつくり、国際的な観光戦略を展開した。海外の出身者を職員として採用するなど、早期から外国人の視点を取り入れたのも特徴である。
ニセコ町で「乱開発」と報じられる事業の多くは農地整備であり、むしろ農業後継者の呼び戻しに寄与している。ニセコ町は2004年に制定された景観条例によって高さ制限や取水量規制を設け、乱開発を防いでいる。実際、住民同意が得られず計画が止まった開発案件も存在する。町民の景観保全への負担意識は高く、調査では観光客よりもはるかに多額を支払う意思を示している。
根底には、作家有島武郎がこの地で土地を無償解放した「相互扶助」の精神が流れている。逢坂町政のもとで制度化された住民自治と環境保全の思想が、この精神を現代に受け継ぎ、現在の持続可能なニセコ町を形づくっている。

==以上、要約終了==

今のニセコ町のまちづくりは、自分が言うのは恥ずかしいのですが、私がその出発点になっているのは事実です。私の取り組みを今の町長さんが引き継ぎ、他地域とは違った状況を生み出しています。ちまたには随分と誤解が広がっているようですが、しっかりと事実を伝えねばなりません。

この吉松こころさんの記事は有料ですが、以下で読むことができます。

bunshun.jp/bungeishunju/articles/h10508

吉松こころさん 有り難うございます。

【25年8月20日 その6570『逢坂誠二の徒然日記』8267回】
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皆様のコメントを受け付けております。

  1. 逢坂さん、見る目のある優れたレポータによる的確な内容の報告ですね。首長とhしての素晴らしい実績ですし、尾坂さんが、国政を預かる政治家にふさわし方だという事が、改めて示されているように思います。

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