徒然日記
戦後80年談話(逢坂誠二の徒然日記)
午前4時のニセコ、空高く薄雲が広がっていますが、晴れです。気温はおよそ15度で、涼しいというよりも寒さを感じます。日中は引き続き晴れ、気温は30度程度まで上がる見込みです。
必ずやり遂げるとの強い決意で、今回は実家の整理に臨みました。その甲斐あって、食器棚などの粗大ごみを何とか搬出することができ、ひとまず安堵しています。ただ、書類や小物類が段ボールで10箱以上残っており、こちらは次回以降、少しずつ手をつけたいと思います。
この3日間は、まさにフル回転となりました。今夕には函館に戻り、明日からは通常の活動に戻ります。
1)戦後80年談話
戦後80年の節目にあたり、石破茂総理は談話を発表しませんでした。
戦後50年以降、歴代総理は10年ごとの節目に談話を発表してきました。戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話、戦後70年の安倍談話。これらはいずれも閣議決定を経た政府公式文書であり、きわめて重い意味を持つものです。
石破総理のこれまでの発言や姿勢から、私は当然80年談話を出すだろうと想定していました。しかし、この私の予想は見ごとに外れました。
自民党内には次のような空気があるようです。
・安倍談話で戦後の談話は完結したという認識
・戦後の歴史認識の問題は解決済みとの考え
・謝罪外交の復活への警戒
・石破総理が「安倍談話を上書きすることは許せない」という思い
総理は、こうした党内の雰囲気に押され、自身の思いを封じたのではないかと感じます。就任前と比べ、総理としての石破氏は随分と印象が変わりました。周囲に忖度して自分の思いと違うことをしなければ総理を続けられないという現実があるのでしょうか。
ただ、昨日の全国戦没者追悼式の式辞では、石破総理は「反省」に言及しました。これは1994年、村山総理がアジアへの加害責任を踏まえて「深い反省」という文脈で用いて以来、野田総理まで歴代首相が踏襲してきた言葉です。しかし安倍総理以降は言及がなく、昨年の岸田総理までその状況が続きました。今回、13年ぶりの「反省」への言及となります。これは石破総理なりの、せめてもの思いの発露だったのかもしれません。
第2次世界大戦に限らず、過去の出来事に真摯に向き合い、可能な限り検証を重ねることは、誤りのない将来を歩むために不可欠です。そのためにも、事実を記録として残し、議論の土台とする作業を怠ってはなりません。
先日、岡本喜八監督の映画『日本でいちばん長い日』(1967年)を改めて観ました。終戦直前、書類を次々と燃やす場面があります。あの時代と比べても、この国の体質は大きく変わっていないように感じます。この状況を少しでも改めるための努力を続けます。
【25年8月16日 その6566『逢坂誠二の徒然日記』8263回】
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