徒然日記
おきざりにしない教育(逢坂誠二の徒然日記)
今日朝からの会合に備え、昨夕、札幌入りしました。午前5時の札幌、空全体に雲はありますが薄く切れており雨の雰囲気はありません。道庁周辺で雪を見かけることもありません。朝の気温は7度程度。日中は雲が多めですが、晴れる時間もあり14度程度になる見込みです。
1)おきざりにしない教育
教育に関して、2日続けて日記を書いたところ、多くの方からご自身の体験も交えた温かいご意見やご感想をいただきました。本当にありがとうございます。
それぞれの方が、ご自身の子ども時代や、保護者・教育関係者としての経験を踏まえて率直に語ってくださり、改めて教育というテーマがいかに多くの人の心に深く関わっているかを実感しています。そしてその分だけ、さまざまな意見や考え方があることも、今回改めて学ばせていただきました。
私が特に思いを強くしているのは、小学校低学年の教育です。この時期の子どもたちは、知識の吸収が早い一方で、ちょっとしたつまずきや不安が、その後の学びへの意欲に大きく影響する繊細な時期でもあります。だからこそ、一律に進めるのではなく、それぞれの子の習熟度に応じて、立ち止まり、振り返り、必要であれば戻るという、柔らかな時間の流れが必要だと考えています。この時期に、学び続けるられる基礎的な力をつけること、ここが極めて大切なことです。
先へ先へと急がせるのではなく、「わからないままにしない」「おきざりにしない」――そんな当たり前のことを、当たり前にできる教育を実現すべきです。子どもたち一人ひとりに合わせたペースで学ぶことは、決して甘やかしでも、遠回りでもありません。むしろ、それが本当の意味での学び続けることの力を育むのではないでしょうか。
ところが残念なことに、「ゆとり」という言葉がいつの間にか誤解され、学力低下の象徴のように語られる場面をよく見かけます。私には、それがとてももったいなく、悔しく感じられます。ゆとりが問題だったのではなく、必要なゆとりが、十分に意味をもって生かされなかったことこそが問題だったのではないでしょうか。
学びというのは、本来とても人間的で、温かく、豊かな営みであるはずです。立ち止まることも、振り返ることも、回り道をすることも、どれも学びの中で自然に起こることであり、それがあってこそ子どもたちは自信を持って歩んでいける。効率だけを追い求めた教育の中では見落とされがちな、そうした「余白」の大切さを、もっと正面から考えるべきだと思います。
今回の学習指導要領の改訂においても、私はこうした視点を大切にしたいと考えています。現場で子どもたちに向き合っている先生方と、丁寧に対話を重ねながら、「現実に根ざした理想」を一緒につくっていきたいのです。
そして、ここが何より大切ですが、どれだけ素晴らしい指導要領を作っても、それを実現するための体制が整っていなければ意味がありません。子どもたちに丁寧に寄り添うには、それに見合った時間と人手が必要です。先生方が過剰な業務に追われ、子ども一人ひとりに向き合う余裕が持てないような状況では、どんな理念も空回りしてしまいます。
教育は、未来をつくる営みです。そしてその未来は、子どもたちだけでなく、私たち大人の姿勢と選択によっても大きく左右されます。「どうすれば本当に子どもたちのためになるのか」――この問いを忘れずに、制度づくりにも、現場支援にも、しっかりと取り組んでまいります。
【25年4月7日 その6435『逢坂誠二の徒然日記』8132回】
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