徒然日記

【25年3月7日 『逢坂誠二の徒然日記』8101回】
午前5時の都内、多少雲がありますが、星も見えます。気温は4度程度です。日中も晴れ、11度程度になる見込みです。今日午後、帰函します。

昨日、東北新幹線の連結器が外れる事故が発生しました。昨年9月にも同様の事故が発生しており、徹底した原因の究明と再発防止策が求められます。最近は新幹線のトラブルが多い印象で、色々な懸念が頭をよぎります。

1)リバプールと函館
函館は文化芸術を軸としてまちづくりを進めるべきと思っておりますが、その際にひとつの参考になるのがイギリスのリバプールだと考えています。

1. かつては造船で栄えた
リバプールは19世紀から20世紀前半にかけて、イギリスの主要な港湾都市として発展し、造船業も盛んでした。特に豪華客船「タイタニック」を建造したホワイト・スター・ライン社が拠点を構えており、同市の港湾業と密接に結びついていました。

ただし、造船の中心はリバプールそのものではなく、近隣のバーケンヘッド(対岸のウィラル半島)やクライドサイド(スコットランド)にも広がっていました。それでも、港湾業と密接に関連した産業として、造船はリバプールの経済を支える重要な役割を果たしていました。

また、20世紀初頭のイギリスは世界の造船業をリードしており、1900年には世界の商船建造量の約6割を占めていました。このように、リバプールは造船を含む海運業の中心として発展し、活況を呈していました。

2. 戦後、日本などの台頭により造船が衰退
第二次世界大戦後、イギリスの造船業は国際競争にさらされ、日本や韓国といったアジアの造船産業の台頭により衰退していきました。特に1960年代以降は大規模な造船所の閉鎖が相次ぎ、リバプール周辺でも多くの雇用が失われました。

さらに、港湾業も衰退し、リバプールは深刻な経済的困難に直面しました。1980年代には失業率が25%に達し、人口も1960年代の3分の1まで減少。産業の衰退により人種問題が悪化し、暴動が発生するなど、都市の衰退が進行していました。リバプールはこの時期、「衰退する都市」の典型例とされていました。

また、タイタニック号を建造した造船所「ハーランド・アンド・ウルフ」も2019年に経営破綻し、かつての造船業の隆盛を物語る企業は姿を消しました。

3. 文化芸術に力を入れることで地域が元気になった
リバプールは、産業の衰退を補うために文化・観光産業を活用した都市再生を進め、現在はイギリス有数の観光都市となっています。特に、ビートルズ観光、ウォーターフロント再開発、スポーツ観光、音楽フェスティバルなどが都市の成長を支え、リバプールの観光産業は年間3,800万人の観光客を動員し、観光による経済効果は約33億ポンド(約6,268億円)にのぼります。

函館とリバプールの全てが共通というわけではありませんが、リバプールの街づくりはから学ぶことは多いと感じています。

【25年3月7日 その6404『逢坂誠二の徒然日記』8101回】
==逢坂誠二への個人献金はこちらです。==
ohsaka.jp/support.html
go2senkyo.com/donate/agree/123556

#逢坂誠二 #おおさか誠二 #立憲民主党 #立憲 #立民 #政治家 #国会議員 #衆議院議員 #函館 #五稜郭 #日記 #リバプール #造船 #文化芸術

  
  

皆様のコメントを受け付けております。

記事に投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です