徒然日記

座礁タンカー運航会社社長と面談(逢坂誠二の徒然日記)

【25年1月17日 『逢坂誠二の徒然日記』8052回】
午前5時の都内、零度程度でしょうか。月も火星も見えます。日中も晴れで、10度程度になる見込みです。昨日、一旦帰函し、都内で会合のため再上京しました。そして今夕、帰函します。

1)座礁タンカー運航会社社長と面談
12日に離礁した恵山のタンカーですが、タンカーを運航する会社の社長と昨日、都内で面談しました。

地元漁業者への補償をはじめ地元対応を確実に行うこと。
事故原因を確実に究明し、再発防止について万全を期すこと。

以上などを要請させて頂きました。今後も継続して情報提供をしてもうらこともお願いしております。また海保次長をはじめ国土交通省幹部の皆さんにも、今回の対応への御礼を述べるとともに、事故原因の究明と再発防止に向けた取り組みについてもお願いしました。今後とも地元の皆さんへの心配がないよう、しっかりと対応して参ります。

2)阪神淡路大震災から30年
1995年1月17日5時46分に、淡路島北部を震源として、M7.3の兵庫県南部地震が発生しました。阪神淡路大震災です。犠牲者は6,434人。戦後発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものでした。

私が人生の中で初めて強く認識した災害は小学校3年の時の十勝沖地震でした。函館大学の1階が完全に押し潰されたり、父の実家のある青森県内の国鉄線路が飴のように曲がっていたりするのを目の当たりにして、地震の恐怖を感じました。それ以降も高校3年の有珠山の噴火、1993年の南西沖地震を、それぞれ直接体験し、自然災害の猛威を知っているつもりでした。

しかし、この阪神淡路大震災は、町長に既に就任していたこともあり、私に相当大きな衝撃をもたらしました。この大震災以降、災害への畏怖の念と、災害への備えの必要性を、より強く認識するようになりました。実際に神戸を訪問し、被害の状況を見た時には、膝から崩れ落ちるほどの衝撃を受けました。

今日はあの日から30年の節目となります。犠牲になられた方々に、改めて哀悼の誠を捧げさせて頂きます。最近は、豪雨災害も頻発しております。備えのある社会となるために、さらに力を尽くして参ります。

==阪神淡路大震災以前で、私の記憶にある地震など==
1968/05/16:十勝沖地震&津波(M7.9)、死者・行不52
1974/05/09:伊豆半島沖地震(M6.9)、死者30
1977/08/07:有珠山噴火
1978/01/14:伊豆大島近海地震(M7.0)、死者23、行不2
1978/06/12:宮城県沖地震(M7.4)、死者28
1983/05/26:日本海中部地震&大津波(M7.7)、死者104
1984/09/14:長野県西部地震(M6.8)、死者29
1986/11/15:伊豆大島噴火
1991/06/03:雲仙岳噴火の火砕流、死者・不明43
1993/07/12:北海道南西沖地震&大津波(M7.8)、死者202、行不28

【25年1月17日 その6355『逢坂誠二の徒然日記』8052回】
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