徒然日記
石渡明さんの後任(逢坂誠二の徒然日記)
午前5時の函館、3度程度で弱い雨が降っています。昼間は雨も上がり5度程度になり、夕方からは雪の予報です。昨日、帰函し今日は終日、地元歩きをします。
1)石渡明さんの後任
島崎邦彦さんの『3・11大津波の対策を邪魔した男たち』(青志社、2023年)を読みました。
島崎さんは、東大地震研教授、政府の地震調査員会で長期評価部会長、日本地震学会会長も歴任された日本の地震研究の泰斗です。2012年から14年まで、原子力規制委員会の委員長代理も務められました。
島崎さんは、東日本大震災を人災だと言い切ります。
本書に以下の記載があり、その理由は明確です。
「大津波の警告は、2002年の夏、すでに発表されていた」
「「防災担当大臣が(この警告の)発表に反対した」
「内閣府の防災担当が、発表を止めようと圧力をかけた」
「東京電力は大津波が起こらないと役所をだまして、津波の計算をしなかった」
2002年7月31日:地震対策本部は大津波の可能性を警告
その後:保安院は東電などに津波高の計算を要請し、対策を促す。東電は「福島県沖には津波地震が起こらない」というウソの混じった報告で保安院を騙す。
こんな経過なのです。
2002年の地震対策本部の大津波への警告は、第2版として2011年3月9日に改めて発表される予定でした。ところが本部はこの発表を見送りました。詳細は省きますが、その背景には東電と政府との秘密会合でのやり取りがあったのです。
もし2011年3月9日に第2版が世に出ていれば、「(大津波の前日)の朝刊に警告が出て、多くの人々の命が救えただろう」と島崎さんは書いています。
3.11以後になって、以前から地震や大津波が想定されていたことを公表すべきという意見が多くあがったといいます。つまりあの大津波は想定内だったというわけです。
これに対して「気分的に乗らない」として否定した方が、本部会議などの事務局を務めていた岡耕春さんという方だと、本書には記載されています。山岡さんは、「後出しジャンケンのように思われるのはよくない」などと反対し、あの津波が「想定外」のものであったとの見解を主導した人物とされています。
東電との秘密会合の事務局を務め、以前から大津波について検討していたことを隠すようなことをした山岡さんが、原子力規制委員会を9月に退任した石渡委員の後任です。
この人事を見ただけで、規制委員会が完全に骨抜きになったと私は感じています。こんなことを繰り返していれば、私たちの国はどうなってしまうのでしょうか。まともな国にしなければなりません。
【24年12月26日 その6333『逢坂誠二の徒然日記』8030回】
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こんにちは。
この人事、それまでの経緯も含め、公的な場で発表する書類に
明記しておくべきですね。日本の国が滅んで以降も残る書類。
差し詰め、ネット空間には残りますから、あとは、公的な場。
うらべ
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