徒然日記
6月21日 その2128『逢坂誠二の徒然日記』
函館は、今日も雲の多い朝を迎えた。
今の気温は15度。
これから雲が減って、
日差しが届くこともあるようだが、
終日、雲が多くにわか雨の可能性あるようだ。
変わりやすい天気となるようだ。
日中も18度までしか上がらない。
1)小川勝也参議院議員
昨夕、小川勝也参議院議員が来函した。
私も、朝の街宣に引き続き、
夕刻も湯川、美原、
さらに本町でも街宣を行った。
見附市議も応援に駆けつけ、
3人での街宣だ。
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小川参議は、以前、次のようなことを語っている。
民主党政権は、
マニフェストが十分に達成できず、
国民の皆様に「不快」な思いをさせたことは事実だ。
しかし安倍政権は、平和主義を後退させ、
基本的人権を弱め、国家主権を強化し、格差を助長する。
つまり民主党への「不快」な思いから、
自民党政権への「恐怖」に変わる。
このことを国民の皆様に伝えねばならない。
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不快から、恐怖へとの指摘、まさに傾聴に値する。
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また小川参議は、次の指摘もしている。
かつて自民党は、
一次産業、中小企業、地方や弱者を大切にしていた。
しかし、今は、グローバル企業や大企業、
製造業、都市や強者を大切にしている。
かつての自民党とは違っている。
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この指摘、全く同感だ。
それにも関わらず、従来の支持者も自民党を支持し、
そのことによって旧来の支持者が辛い境遇になっている。
本当は支持政党の転換が必要なのだ。
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この間、街宣や市民の皆さんとの意見交換で、
色々なことが実感として浮かび上がって来たことがある。
国家経済の成長で、国民が幸せになる時代は、
もう既に終わったということだ。
1950年代後半から1970年頃までは、
国家経済の成長で多くの国民が幸せになる、
一億総中流の社会が実現できた。
その後、社会のグローバル化と
社会全体の見かけ上の効率性の追求が進んだ。
この結果、少なくとも21世紀に入ってからは、
国家経済が成長しても、
多くの国民が幸せになる社会ではなくなった。
国家全体で益が上がったとしても、
それは国民個々人の益にはならず、
国内外大手企業の内部益や投資家の益になる。
このことによって、
個人、企業、地域の格差がさらに広がっていく。
だからこそ、財政政策によって、
その格差を補正しなければならない。
ところが、安倍政権は、財政の格差是正機能とも言える、
地方交付税や福祉などを縮減させるている。
この政策が進展すれば、格差はますます拡大する。
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ところが、多くの国民は、
日本の経済が成長すれば個々が幸せになると、
未だに思い込まされている。
経済が成長すれば、自分も幸せになれると信じて。
自民党政策を支持する皆さんが多い。
しかしそのことによって、
逆に自分を格差社会の底辺に追い込む可能性が高い。
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最近はこんなことを実感している。
2)ボイストレーニング
以前から、私の声、話し方には無理があると感じており、
いずれ専門家の指導を受けたいと思っていた。
私の声は、大きいが、
攻撃的で、温かみに欠けると感じていた。
小さな声での少人数の会合には向かない、
そんな印象も持っていた。
加齢とともに滑舌の低下も感ずるようになり、
それを防ぐトレーニングも受けたいとも思っていた。
しかし、そんなチャンスが無いままに時間が過ぎていた。
ところが過日の女性起業家協会の会合で、
偶然にもボイストレーナーの先生にお会いすることができた。
そこで早速、相談し、
昨日、体験レッスンを受けさせてもらった。
やはり私は、腹式呼吸も、胸骨を使う響きも、
背骨の柔らかさなども十分ではなく、
指導ポイント満載のようだ。
年齢も年齢なので、
どの程度上達するか分からないが、
少しでも進化できるよう、
今後、定期的にレッスンを受けることとした。
昨日は、こんな長年の念願が叶った一日だった。
3)人間のための経済
安倍総理のG8帰国後のはしゃぎぶりというか、
無邪気な喜びようを見ていると、
不安以上の恐怖を感ずるのは私だけだろうか。
一国の総理に対して失礼だとは思いつつも、
G8の成果を自画自賛するあの姿は、
どう見ても「お子ちゃま」なのだ。
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G8では、各国から評価を受ける部分もあったのだろう。
しかし、なぜ各国が評価したのか、
その意味を十分に考える必要がある。
つまりそれは、必ずしも日本の利益ではなく、
各国の利益にも繋がるからだろう。
一方で日本を名指しして、
中長期的な財政の安定性を得るための対応を求められた。
つまりこれは、
日本自国の利益は、海外と共有するが、
痛みは日本国民で分かち合えという意味なのだ。
これから多くの国民が辛い立場になる可能性が高いのに、
そのことを感じもせず、
自画礼賛をするお子ちゃまぶりを見ていると、
行く末が恐ろしく恐怖すら感ずるのだ。
こんなときに、皆さんに笑われるかもしれないが、
2009年10月26日の
鳩山総理の演説を忘れることができない。
== 以下、一部引用 ==
市場における自由な経済活動が、
社会の活力を生み出し、
国民生活を豊かにするのは自明のことです。
しかし、市場にすべてを任せ、
強い者だけが生き残ればよいという発想や、
国民の暮らしを犠牲にしても、
経済合理性を追求するという発想が
もはや成り立たないことも明らかです。
私は、「人間のための経済」への転換を提唱したいと思います。
それは、経済合理性や
経済成長率に偏った評価軸で
経済をとらえるのをやめようということです。
経済面での自由な競争は促しつつも、
雇用や人材育成といった面でのセーフティネットを整備し、
食品の安全や治安の確保、
消費者の視点を重視するといった、
国民の暮らしの豊かさに力点を置いた経済、
そして社会へ転換させなければなりません。
== 以上、引用終了 ==
この2009年10月26日の演説から、
我々は学ぶことが多いと、
私は、改めて強く感じている。
今朝も、函館駅前、五稜郭駅前、
本町交差点で街宣を行う。
さあ今日も、しっかりと前進します。
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2013・6・21 Seiji Ohsaka
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逢坂先生、おはようございます。
確かに、2009年の10月の首相演説は、政権交代を成し遂げた新政権党のリーダーとして国家観のみならず社会経済を含めた新しい日本の進路を示したもので、当時の官房副長官の松井孝治先生をはじめとする首相側近の方々の意気込みがストレートに伝わるよい演説であったと思います。
同時に今現在思うのは、その言葉に魂を入れて、最終的に万人に読み返される重みのあるものにすることがいかに困難であるかということです。