徒然日記

8月15日 その1838『逢坂誠二の徒然日記』



夜明け前の都内は、
空一面に雲が広がっている。

昨夜も熱帯夜で部屋の中は蒸し暑く、
肌が汗ばんで寝苦しい一夜だった。

予報によれば、今日は日差しもあれば、
にわか雨の可能性もあるとのこと。

ムシムシするが、
風が吹くと少し暑さが和らぐようだ。

予想最高気温は31度だ。

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昨日、近畿地方で、
局地的な短時間の集中豪雨があり、
死者が出るなどの被害があった。

亡くなられた方にお悔やみ申し上げるとともに、
被災された方にお見舞いを申し上げる。

最近は、このような局地的、記録的、
さらに短時間の集中豪雨が多い。

しかもこの多くの予測が簡単ではないという。

明らかに気候の様子が違っていると感じている。

1)終戦
終戦の日を迎えた。

第2次世界大戦で、
日本の戦没者は310万人に達すると言う。

このうち海外や沖縄、硫黄島で亡くなった
戦没者約240万人のうち、
昨年度までの15年間に送り返された遺骨が
約3万9千人にとどまっている。

戦争を経験した世代が高齢化するなか、
遺骨収集は難しい局面に入っている。

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この朝に、
あの戦争の惨禍を決して忘れてはいけないと、
改めて強く感じている。

忘れてはならないとは、
極めてシンプルなことだが、
極めて重要なことだ。

2)信金理事長の直球
13日付毎日新聞のコラム「風知草」がなかなか良
い。

このコラムはいつも秀逸な内容で
目が離せないのだが、今回のも良かった。

タイトルは「信金理事長の直球」だ。

少々長いが、全文を引用する。

== 以下、引用 ==

「近いうち」の総選挙と希望について書こうと思ったが、筆が進まない。

すると、間近のテレビに城南信用金庫の吉原毅(つよし)理事長(57)が現
れ、「経団連の加盟企業は自分で原発を買い取って運営できるのか」と斬り込ん
だ。(9日、テレビ朝日「報道ステーション」)

「そもそも、銀行が融資に応じるはずがない。最後は国民負担と見越して自分た
ちにできもしないこと(原発継続)を提言する。

それで『現実的』とは話がさかさま、無責任きわまりない」と歯に衣(きぬ)着
せぬ名調子。

何事も目配り気配りでモノが言いにくい当節まれに見る直球、それも、小兵とは
いえ金融機関トップの公式発言だから、インパクトは大きかった。

テレ朝によれば、番組に届いた反響は「よく言った」と「けしからん」が半々。

人気番組での直言は、賛否を問わず、視聴者の心を波立てた。

吉原の「脱原発」は知る人ぞ知る。新聞・テレビにしばしば登場し、中部電力浜
岡原発の廃炉を求める訴訟の原告団にも参加。
金融機関にあるまじき逸脱、時流迎合の売名といぶかる向きもあるが、さにあら
ず。

会って話してみれば、地域金融の伝統と経験に基づく確信という筋金が入ってい
た。

城南は預金量で全国の信金中2位。前身の城南信用組合は1945年、東京都大
田区で生まれた。

城南は江戸城の南。いまのNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」の世界だ。

吉原自身、大田区生まれ。77年、慶大経済学部を卒業して入社。

第3代理事長で、信用金庫業界のドンと仰がれた小原鉄五郎(おばらてつごろ
う)(1899〜1989)に仕えた。

小原語録に「銀行に成り下がるな」がある。

「信用金庫は地域を守って地域の人々の幸せに貢献する。

利益第一の銀行とは違う」と小原は言った。

高度成長の60年代、信用金庫も株式会社化(信金は協同組合だ)して銀行と合
併せよという流れが強まった時、小原は反対の先頭に立って食い止めた。

全国の信金を団結させ、「地域無視、人間不在、効率一辺倒の超資本主義は国を
過つ」と説いた。

その熱弁と行動力で、澄田智・大蔵省(現財務省)銀行局長(後の日本銀行総
裁)や中山素平・日本興業銀行(現みずほ銀行)頭取を感嘆させた逸話は語りぐ
さである。

その城南も常に小原精神を守ってきたわけではない。

吉原は10年11月、利益至上主義と情実人事に流れて理事長を世襲した前2代
のトップを理事会の多数決で解任し、実権を握った。

理事長は60歳定年、年収は支店長レベルの1200万円以下、世襲は論外、社
用高級車廃止と定め直しての登板だ。

吉原の「脱原発」は、苦い体験を踏まえ、本来の伝統に帰ろうという実践の一環
である。

必要とあらば国策にもの申す小原精神の継承である。

愛読書の一つがアダム・スミスの「国富論」。

中に株式会社と協同組合の比較論がある。

協同組合には組合員自治の規律があるが、株式会社の運営には怠慢と浪費がつき
まとう。

このくだりは英国東インド会社の乱脈を見ての加筆。

今日に通じる観察と吉原は見る。

これでもかと噴き出す内外の「金融ムラ」不祥事、巨大株式会社の乱脈と、原発
依存の産業体制はつながっている。

資本主義の歴史的な曲がり角で「脱原発」の先頭に立ち、混迷に直球を投げ込ん
だ吉原の挑戦は、思いつきでも、便乗でも、政治道楽でもない。

== 以上、引用終了 ==

この吉原理事長の言動から、
我々は何を読み取るべきなのか。

とくに経済界といわれる分野で
仕事をされている皆さんに、
刮目してお読み頂きたいと思う。

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この静かな8月15日、
極限まで弓の弦を引っ張っている。

緊張で張り詰めて、物事が動かない。

指に弦が食い込む。

この日を過ぎて、
弦を引く指を伸ばした瞬間に、
あまたのことが一気に動き出す。

より一層、先の見えない時期に突入する。

こうしたとき、
いや、いつも我々は
目先のことに捕らわれがちになる。

そしていつも、後悔をするか、
より深い迷路にはまってしまう。

こんなときだからこそ、
もっと大きく深く、
全貌を捉える心の力が必要だ。

どんなに目や耳を開いていても、
そこに入るものを読み解く力がなければ、
それはただの情景であり音に過ぎない。

この夏の暑い日の中で、
私の心も極限まで研ぎ澄まさねばならない。

さあ今日も、しっかりと前進します。
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   2012・8・15 Seiji Ohsaka

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