徒然日記
23年2月26日 その5664『逢坂誠二の徒然日記』(7361)
1)40 年を振り返る
今年は、1983年に私が学校を卒業し、社会に出て40年の節目となります。11年はニセコ町役場職員、次の11年はニセコ町長、国会に初当選して18年。光陰矢の如しなどと言いますが、本当にあっという間の40年間です。
社会に出てすぐの頃は、研究職を諦め切れない悩みの時期でした。法律や地域づくりを学びながら悶々とする5年間でしたが、ふるさと創生1億円事業が私の人生を変えました。あの事業を通して公務員の役割の重要さを痛感したのです。それ以降、情報共有の力、住民参加の重要さを知る6年間を経て町長に就任しました。
町長としてやるべきことは、徹底した情報公開と人への投資、それは極めて明確でした。予算提案件、予算執行権、許認可権、人事権などを持っている町長は地域での絶対的権力者です。そんな仕事は2期程度が限界だと心に決めていました。しかし2期目の後半から始まった平成の大合併議論に対し、地域としてのケリをつけなければなりません。町長 3期目を継続する中、法定協議会で合併を選択しないことを決めました。
合併を正式に決めていないのに法定協議会を設立したのは、多分、全国でも私たちの地域だけです。法定協議会を作らずに判断しようとしても、内容の深い議論ができないと私は考えたのです。法定協議会でギリギリと詰めた議論をした結果、私たちの地域は合併しても良くはならないとの判断をしました。当時、「小さくても楽しい我が家」なんて言っていました。合併をしなくて正解だったと思っています。
平成の大合併について、色々と思うところがありますが、いずれどこかで整理しなければなりません。
合併議論の一方で、小泉改革によって、地域の自治が崩壊する懸念がありました。国政が出鱈目だと地域が壊れることを強く感じ、2005年、町長を辞して国会議員となりました。その4 年後、国会議員2期目という早い時期に政権交代を果たすことができました。私が政府の中にいたのは、総理補佐官、総務大臣政務官としての2年弱でしたが、この間には、本当に多くの仕事をすることができました。地方交付税の大幅増額、国と地方の協議の場法の制定、国から自治体への義務付け枠付けの大幅見直し、改正NPO法による新認定制度など、今につながる大きな実績を残すことができました。政権とは直接関係がありませんが、公文書管理法制定の牽引ができたことも大きな成果です。
2012年12月から2年間、落選。2014年以降は、私の意図とは無関係に、民主党、民進党、旧立憲民主党を経て、現在、立憲民主党の代表代行となっています。下野してからのこの間、日本は本当に劣化したと感じています。この劣化を食い止めることができなかった11年間は、本当にもったいない時間だったと感じています。
私には、やるべきこと、やらなければならないことがあります。「人への投資を行う」「一次産業の基盤を強化する」「再生可能エネルギーを普及させる」「情報公開と公文書管理を強化する」など、これらを確実に推進する必要があります。
40年の節目に色々な振り返りをしつつ、将来を見据えています。
さあ今日も ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2023.2.26===
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