徒然日記
19年11月29日 その4480『逢坂誠二 の徒然日記』(6177)
昨日も憲法審査会で1時間近く
今年の海外視察を中心に
意見交換が行われています。
何度も繰り返しますが、
憲法に関する議論はしっかりと行うべきです。
立法事実があるならば、
改正についても議論するのは当然です。
しかし立法事実がないにも関わらず、
改正を扇動する議論、
改正だけが目的の議論などは
慎むべきと私は思います。
もちろん日本国憲法は
不磨の大典ではありません。
時代の変化とともに
改正が必要になる場面があります。
その際に、制度設計が
不確かな国民投票法制では、
結果の正統性が問われます。
国民投票がどうあるべきかの議論は
もっと深く広く行うべきです。
たぶん2011年にも日記で紹介したと思いますが、
国民投票や民意を思うとき、
いつも以下の本のことが気になります。
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ジェイムズ・S・フィシュキン著『人々の声が響き合うとき 熟議空間と民主主義』(早川書房)
この本は2011 年に翻訳出版されました。
== 以下、引用 ==
世論調査がその名にふさわしいほど、世間は「意見」と言えるほどの意見を持ってはいない。回答者は「知らない」と認めたくないため、 その問題については一度も考えたことがないと答えるよりは、ほとんど適当に答えを選ぶ。ジョージ・ビショップの実験によると、いわゆる「1975年公共法」について、 人々は一家言あるかのように回答した。そのような法律は存在しないにもかかわらず、である。またこの架空の法令、1975年公共法の20周年という節目にあたり、 法律の廃止についてどう思うか『ワシントン・ポスト紙』が質問したところ、それについても回答者には考えがあるようだった。 くどいようだが、そのようは法律は実際には存在しない。
==以上、引用終了==
この本の中では、
学ぶ、考える、話す、
こうしたことができる空間を確保することが、
熟議の条件と指摘しています。
憲法改正と一般の世論調査は違いますが、
熟議の上で一票を投ずる環境を
如何に確保するかが重要です。
一方現在は、テレビ、新聞、雑誌など、
従来型のメディアに加えて、
ネットから得られる情報が
極めて大きくなっています。
しかも真偽が明確ではない情報も
匿名でたくさん流通しています。
熟議の空間を確保しつつ、
棒大に流通する情報にどう対処するか、
これも大きな課題です。
国民投票のあり方について、
将来、後悔することのないようしっかり
議論しなければなりません。
今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2019.11.29===