徒然日記
5月3日 その3226『逢坂誠二の徒然日記』(4870)
憲法記念日の今日、函館は穏やかな朝を迎えた。
函館の朝の気温は既に8度。
日中は20度近くにまで上がる見込みだ。
1)憲法記念日
憲法記念日は、1947年(昭和22年)5月3日に、
現在の日本国憲法が施行されたことを記念して、
1948年(昭和23年)に公布・施行された祝日法によって制定された。
この憲法記念日に関し、当時の法制局長官の入江俊郎さんは、
『日本国憲法成立の経緯原稿5』で次のように記している。
==以下、引用開始==
新憲法は昭和二十一年十一月三日に公布された。
この公布の日については二十一年十月二十九日の閣議でいろいろ論議があつた。
公布の日は結局施行の日を確定することになるが、
一体何日から新憲法を施行することがよかろうかというので、
大体五月一日とすれば十一月一日に公布することになる。
併し五月一日はメーデーであつて、
新憲法施行をこの日にえらぶことは実際上面白くない。
では五月五日はどうか。これは節句の日で、
日本人には覚えやすい日であるが、
これは男子の節句で女子の節句でないということ、
男女平等の新憲法としてはどうか。
それとたんごの節句は武のまつりのいみがあるので
戦争放棄の新憲法としてはどうであろうか。
それでは五月三日ということにして、
公布を十一月三日にしたらどうか、
公布を十一月三日にするということは、
閣議でも吉田総理、幣原国務相、木村法相、
一松逓相等は賛成のようであつたが、
明治節に公布するということ自体、
司令部の思惑はどうかという一抹の不安もないでもなかつた。
併し、結局施行日が五月一日も五月五日も適当でないということになれば、
五月三日として、公布は自然十一月三日となるということで、
ゆく方針がきめられた。
公布の上諭文は十月二十九日の閣議で決定、
十月三十一日のひるに吉田総理より上奏御裁可を得た。
==以上、引用終了==
憲法の施行日について、
こんな議論があったとは知らなかった。
憲法記念日の前後に、
毎年、マスコミなどでは、
憲法に関する報道、記事が多くなる。
しかし多くの国民は、普段は、憲法をあまり意識しない。
しかしここ3年あまり、憲法に関する議論が一気に高まった。
戦後直後の憲法制定時を除けば、
こんなに憲法議論が高まったことはない。
この議論の高まりは、
今の安倍総理の憲法や立憲主義に対する危うい認識が発端だ。
これは安倍総理の認識は決して、褒められたものではないし、
憲法や立憲主義に対して全く勉強不足であるのは、
何とも恥ずかしいことだ。
しかしその誤った認識が国民の危機感を煽った。
本来、こんな危機がない状態で、
もっと当たりに平時から憲法について考えることが必要だった。
残念ならが、そうした雰囲気は日本には少なかった。
しかしこの三年あまり、
立憲主義とは何かなど、憲法に対する認識が、
若い方を含めて随分と広がったと感ずる。
しかしまだまだ不十分だ。
今日の日を契機に、もっともっと憲法に対する認識が、
高まれば良いと思う。
それは憲法の内容がどうであるとか、
改憲や護憲が是であるとか非であるとかという個別議論ではなく、
そもそも憲法とは何か、
憲法の本質は何かという基本的議論が高まることが大切だ。
今日、私も改めて憲法に関して思いを巡らす一日にしたい。
2)地域を歩く
昨日は、夏の参院選挙に出馬を決意した、
鉢呂吉雄元代議士とともに地元を歩いた。
鉢呂さんは、13年前までは、この8区選出の代議士だった。
そんなこともあって、昨日の地元歩きでは、
さすがに知名度の高さを感ずる場面が多かった。
現職の徳永エリ参議院議員とともに鉢呂吉雄さん、
この二人の当選に向け、さまざまな活動が動き出している。
今日も、地元を走り回る予定だ。
さあ今日も、確実に前進します。