徒然日記
11月10日 その3051 『逢坂誠二の徒然日記』(4695)
ウズベキスタンに来て、
色々な方にお会いしたが、
嫌な思いをするような場面には
出くわしてはいない。
もちろん世間には、
さまざまな方がいることは、
当然理解している。
ウズベキスタンの皆さんも、
特別に愛想が良いわけでもないし、
ことさらに自分を作っているわけでもない。
しかし何かしらみんなが
当たり前の対応をしている。
道で遊んでいる子どもたちが挨拶をする。
私を見て、若干恥ずかしそうに
「ハロ」などと言う子たちもいた。
これは当たり前のことだが、
日本では忘れ去られた
信じられない光景だと思う。
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「日本人は、
宗教的に定まった考えがない。
だから自殺が多い。」
ウズベキスタンに来て聞いた言葉だ。
ゾロアスター教は、紀元前6世紀には、
多くの人が信仰する宗教だった。
ウズベキスタンも、
ゾロアスター教徒が多かったというが、
7世紀半ばにイスラム教が入り、
8世紀後半にはイスラム教が相当に定着した。
貧困な者には生活の安定を標榜し、
富裕な者には暴力的な手段を用いて
布教したなどの話もあるようだが、
ウズベキスタンでどのようにイスラム教が広がったのか、
その詳細は、私にはまだよく理解できていない。
現在は、ウズベキスタン国民の
90%以上がイスラム教徒だ。
だが多くの方が一日5回礼拝するわけではないし、
豚肉を食べる方も少なくないようであり、
戒律的にはそれほど厳しくない雰囲気だ。
しかし宗教心が弱いわけではないし、
この地域に来ると
宗教のことを考えないわけにはいかない。
生活と宗教が密接不可分であることは事実だし、
政治と宗教も密接不可分だ。
若い方に宗教について話を聞くと、
年配者ほど信心深くない印象を受けるが、
自身の考え方の根底に
宗教の影響が色濃くあるのは明白だ。
生きるためのよりどころというか、
自分を考える根源に宗教があるのは、
間違いないような印象を受ける。
もちろん日本には、そんな雰囲気は多くはないし、
そのことが日本で自殺が多い一つの理由だ
との指摘は外れていないと思う。
宗教によるか、よらないかは別にして、
もっと自分や生きることを考える、
そんな場面が日本人には必要だ。
そこに政治が深く介入すべきかどうか、
それは議論の分かれるところだが、
そうした課題が存在していることも含めて、
社会全体のあり方が
政治の守備範囲であることは間違いがない。
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政治、民主主義、そして宗教。
乾燥した空気の中で、
これらの関係を改めて深く考える、
良い時間を頂いた。
さあ今日も、確実に前進します。
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2015・11・10
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