徒然日記
3月12日 その2808 『逢坂誠二の徒然日記』(4452)
都内は昨朝よりも、
ちょっとは気温が高く3度程度だ。
予報は晴れ、最高気温は14度程度だ。
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毎日、早朝から夜遅くまで、
国会活動に没頭しているが、
高さも分からない垂直に切り立った塀に
よじ登っている印象だ。
少しは高度を稼いではいるものの、
どこまで登れば塀の上に到達できるのか、
先は見えない。
そしてちょっとでも油断すれば、
塀から落ちてしまう危険に常に晒されている。
とにかく歯を食いしばって、
確実に着実に上られねばならない。
仮にその塀がどこまでも永遠に続く
高いものであったとしても。
1)東日本大震災追悼式
昨日は、4度目となる政府主催の
東日本大震災追悼式に参列し、
私も献花させて頂いた。
天皇皇后両陛下をはじめ、
各県代表の皆さん、各国駐日大使館関係者の皆さん、
政府関係者の皆さんなど1200名の皆さんとともに、
あの震災に思いを馳せながら様々なことをしのびつつ、
悲しみを共有させて頂いた。
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この追悼式で一つ気になったことがあった。
ステージ上で遺族代表などの数名の挨拶が行われた。
皆さん落ち着いて静かにステージの中央に進む。
ところがただ一人、安倍総理だけが雰囲気が違った。
落ち着いて静かにとは全く逆で、きびきびとした態度だ。
特に私が気になったは、
静かな式典会場に響き渡る安倍総理の靴音だ。
カツ、カツと、国立劇場の大舞台に靴音が響く。
会場が静かなだけに、その音が、
私には気になって仕方がなかった。
他の人とは違ったこの総理の靴音に、
総理の今が象徴されているそんな印象を受けた。
2)集団的自衛権
昨年7月1日に、これまでの憲法解釈を変更して、
集団的自衛権の行使を容認するための閣議決定が行われた。
この決定は現行憲法に反するおそれがあるとの指摘がある中で、
現在、この閣議決定を受けた法案化の作業が、
政府与党内で進められている。
昨夕、その内容について政府担当者から説明を受け、
意見交換をした。
説明を聞いて感ずるのは、
やはり歯止めがどこにあるのか全く分からない上、
閣議決定の文言は国民の皆様に
理解できるものとは思われないないということだ。
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例えば、
「PKO5原則の枠組みの下で」
との言葉は理解できるだろうか。
「PKO5原則の枠組みの下で」の言葉は、
あたかも今のPKO5原則を示すように思われるが、
これは必ずしも今の5原則そのものを
指し示す言葉ではない。
今のPKO5原則の枠組みを残しつつ、
その文言を変更することもありうるという意味だ。
しかもこの変更に当たっては、
今のPKO5原則の「枠組み」とは何かが議論となり、
その内容は必ずしも定まったものではない。
ということは、
「PKO5原則の枠組みの下で」との表現によれば、
今のPKO5原則がどのように変更されるか、
その詳細は分からないということになる。
昨年の閣議決定や、今の政府の説明には、
こうした拡大解釈可能な、
呪文のような言葉が溢れている。
これでは、国民の皆様に
その内容が分かるはずもない。
昨年の閣議決定の正式名称は、
「国の存立を全うし、国民を守るための
切れ目のない安全保障法制の整備について」だが、
こんな状態なら、
「止めどのない安全保障法制」になりかねない。
相当に神経を研ぎ澄まして、
政府与党の動きを注視しなければならない。
3)日本と原発 その3
映画『日本と原発』(河合弘之監督)の内容から。
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<京都大学原子炉実験室 助教 小出裕章氏の言葉>
今日動いている火力発電所も
原子力発電所もいずれも蒸気機関です。
ただし、問題は原子力発電の場合には、
水を沸騰させるために
ウランを核分裂させるということをやって
エネルギーを得ているというところに、
何よりも根本的な問題があります。
つまり、ウランを核分裂させてしまうと
核分裂生成物と言う
みなさんは”死の灰”と呼ぶものが
避けることが出来ずにできてしまうという、
そういう機械なのです。
福島第一原子力発電所では今、
4つの原子炉が同時に壊れていっている
ということになっています。
日本政府の報告によれば、
広島原爆がまき散らした核分裂生成物、
私はセシウム137という核分裂生成物が
一番危険だと思っていますので、
そのセシウム137を尺度にとれば
広島原爆がまき散らしたものの168発分を
すでに大気中にまき散らしたと、
日本政府が言っています。
今現在、子どもも赤ん坊も含めて
汚染地帯に取り残されて日々、
苦闘しているという現実です。
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今日は午前7時からの
原発ゼロの会の世話人会に出席だ。
そのためにいつもよりもさらに早く活動を開始する。
また明日の委員会が日程が許せば、
今夜はいったん帰函する予定にしている。
今日も、しっかりと前進します。
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2015・3・12
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ちょうど2011年3月13日(3.11の2日後)から函館に住み始めた者です。逢坂さんとは昨年3月11日、伴英幸氏の講演の後に握手をしました。「原発ゼロの会」を応援します。亡父が原発を推進する側の人間として働いた男なので、忸怩たる思いをしました。3.11で亡くなった方々を悼み、下っ端の父をも含む原発コングロマリットのせいで原発難民にさせられた10万人以上もの方々の苦労を思い、子どもたちの健康を案じ、自分なりにできることを模索するつもりです。