徒然日記
7月13日 その2150『逢坂誠二の徒然日記』
奥尻で朝を迎えた。
空全体に雲が広がっているが、
雨が降る雰囲気はない。
今の気温は19度、
日中は22度程度になる見込みだ。
窓を開け放して日記を書いている。
鳥の声以外の音は聞こえない。
窓からは、爽やかな朝の空気が流れ込んでくる。
1)追悼式
1993年7月12日午後10時17分、
奥尻島付近でM7.8の大地震が発生した。
この地震と津波によって、
230人の死者、行方不明者を出した。
あれから20年の昨日、奥尻町で
「北海道南西沖地震災害奥尻島20周年追悼式」が行われ、
私も参列し、改めて犠牲者の冥福を祈った。
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堤防や道路、街並みなどは、早いピッチで復旧した。
しかし毎度、奥尻を訪問すると、
あの災害によって受けた心や地域への傷は
癒えてはいないことを感ずる。
災害の怖さはもちろんだが、、
奥尻の消防職員の
「日ごろから災害に対する心の防波堤を高くすることが大事」
との指摘は極めて大切だ。
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20年前のあの時刻、私はニセコ町にいた。
ニセコの自宅も激しく揺れたし、
両親の経営する商店では、
陳列棚から日本酒やウィスキーなどか落下して、
店内は、大変な状況だった。
すぐさま役場に駆けつけると、
町民センターの壁にひびが入るなど、
ニセコ町でも多少の被害があった。
昨日の追悼式に参列し、
日本海南西沖地震、阪神淡路大震災、
さらに東日本大震災など、
この20年の流れを、
私なりに振り返る機会とさせて頂いた。
改めて多くの犠牲者の方々の冥福をお祈りする。
合掌。
2)TPP
TPPに反対と言うと、
日本を「鎖国」するのかと聞き返す方が、
ごく稀にいる。
現在、これほどまでに、
ヒト、モノ、カネなどの流れが、
各国間の国境を越えて行われている中で、
もう一度、鎖国に戻すことは、あり得ないことだ。
国境を越えて様々なものが行き交う傾向は、
さらに強まるだろう。
私は、それらの「行き交い」は、
日本の国のあり様を念頭に置きつつ、
丁寧に進められべきものだと思っている。
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今のTPP議論に対する懸念は多い。
・
経済的な利益だけが中心に据えられていること
・
議論すべき分野が21とあまりに広すぎること
・
目指すべき価値がアメリカ的なるものが中心らしいこと
・
経済的規制と社会的規制が一緒くたに議論されていること
・
TPP参加後の日本の姿を誰も描けていないこと
・
日本の民主主義、国家主権が侵され兼ねないこと
これらのことが大いに懸念されている。
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私は、各国間の様々な交流は進むべきだと思っているが、
その際に留意すべき点は、次のようなことだ。
・経済的な利益だけにとどまらず、
もっと広く国益とは何かを考えること
・
新自由主義的な競争と、それとは趣を異にする共生、
この塩梅を念頭に置きつつ、社会を考えること
・
グルーバルに活動する企業などの利益と、
国民国家としての利益をどう両立させるかを考えること
・
日本の国民に関わること、
日本の社会に関わること、
日本の国に関わること、
これらのことは、
なるべく日本人が主体的に関わって決められること
・
これらの点を頭に置きつつ、
日本の目指すべき国家のあり方を考えること
上記のようなことを念頭に置かずに、
単に経済的な利益だけを中心に据えた国づくりを進めると、
必ずしも多くの国民が幸せにはなれない。
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世界経済の動きは早く、そんな悠長なことを言っていると、
日本が世界から置いていかれるといった趣旨の指摘は多いが、
過去の歴史をみると、目先の利益の獲得を急ぎ過ぎた結果、
おかしなことになった事例も少なくない。
真の日本国民の幸せは何かも考えずに、
目先の利益の確保に汲々としているTPP参加には、
改めて反対だ。
二国間、多国間の交渉、いずれも同様だが、
相手の国の立場も尊重しつつ、
丁寧な議論を基本にして、
国民主体の真の国益を念頭に
国家間の交渉をすべきなのだ。
今日の午前は奥尻町内で、挨拶回りを行い、
昼のフェリーで、せたな町に向かう。
その後、管内数か所で、街宣を行い、
帰函する予定だ。
さあ今日も、しっかりと前進します。
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2013・7・13 Seiji Ohsaka
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