徒然日記

K君、ディラン/逢坂誠二 #7733

【24年3月4日 その6036『逢坂誠二の徒然日記』#7733】

夜明け前の都内、昨朝同様、薄雲が広がり星も月も見えませんが、夜明けとともに晴れの予報です。朝は2度、日中は15度になる見込みです。今日は下弦の月です。

1)K君、ディラン 1978年春、ボブディランが初来日しました。当時の我が家の雰囲気や家計の状況では、東京のコンサートなどには行けるはずもない上に、私は高校3年で受験の春でした。
東京の大学を受けに行くK君は、私のディラン好きをよく知る仲の良い友人でした。K君がいくつの大学を受験したのか知りませんでしたが、1、2週間の東京滞在だったと思います。受験を終えて帰って来たK君からお土産をもらいました。ディランのコンサートのパンフレットです。東京の大学に受験に行くことも何となくカッコ良く見えていたのですが、ディランのコンサートに行ったと聞いてホント、心底羨ましく思ったものです。

私は、北大を受験しましたが不合格。二期校は、父の実家のある青森の弘前大学に出願していましたが、弘前大学に行くことはないと考えていましたので、受験せず、親には無理を言って浪人を決めました。
札幌の予備校の寮にも、そのディランのパンフレットを持って行きました。
予備校では早朝6時過ぎから数学の特別授業、昼休みも英語の特別授業があり、結構、一生懸命勉強したと思います。ゴールデンウィーク直後の成績で、来年の合否がほぼ決まると言われていたので、特に春は必死でした。
もちろん勉強オンリーでは逆に効率が上がりません。息抜きはロック喫茶です。(ちょっとのアルバイトもしました。)寮の友人たちからはパチンコに誘われ、何度か付き合ったこともありましたが、どうも私の好みには合いませんでした。
私の通ったロック喫茶は、輸入版が中心で日本の発売日よりも早くアルバムを聞くことができました。ディランのストリート・リーガルやダイアー・ストレイツのファーストアルバムを聞いたのもそこでした。

その年の8月、春のディランのコンサートのライブ版(LP2枚組)が出ました。日本だけの発売でしたが、それもいつものロック喫茶で聞きました。K君が聞いたであろう、見たであろうコンサートの様子を思い浮かべつつ何度も聞きました。
翌年は共通一次テストの初年度でした。出願したのは北大のみです。道内の国公立大学のみの受験、これが親との約束でした。今回、不合格なら大学進学は諦める、これも条件でした。
共通一次試験は、多少のミスはあったものの自己採点の結果は悪くありません。2次試験は、数学ではプラスとマナイスを間違えてグラフ書いてしまったのですが、部分点はもらえるだろうと思っていました。物理は予備校で高校の授業とは全く違うことを叩き込まれ、入試ではまさにそれに近い問題が出題されました。地方の公立高校の授業だけでは、なかなか合格できないことを実感したものです。

2次試験が終わり、ディランの例のライブアルバムを買ってニセコに帰りました。店の仕事を手伝いながら合格発表の日を待っていました。毎日、ディランのライブも聞きました。
大学の発表よりも多少遅れるのですが、当時は、北大の合格者一覧が地元テレビでも放送されました。
合格発表の朝もディランを聞いていました。合格をテレビの画面で知った後も再度、長い間、ディランのライブを聞いていました。ディランの78年ライブ漬けの時期だったのです。

昨年11月、78年コンサートの未発表音源36曲を含む全58曲のアルバムが発表されました。しばらく未開封だったのですが、昨日、確定申告を終えて、やっと聞くことができました。
K君からもらったパンフレットは、何度も引越しをするうちにどこかに行ってしまったのですが、今回のアルバムの付録はあのパンフレットの縮小版です。
K君は20年ほど前に早逝したのですが、彼のことも思いながら、今日からのエネルギーを供給する貴重な機会となりました。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2024.3.4===

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皆様のコメントを受け付けております。

  1. こんにちは。

    逢坂さんは一期校二期校時代の旧大学入試と、大学入試センター
    が行う共通一次試験以降の1次試験、2次試験がある時代を経験
    した稀有な受験経験者なのですね。
     私は、1973年の受験でしたので、旧大学入試の世界しか
    実感しておりません。1979年の春、フラフラと気ままに
    勉強していると、あっという大学を押し出され、これだけは
    したくないなぁと小学校以来思い続けていた会社勤めを、
    東京で満員電車に運ばれて嫌々する羽目になりました。
    もっとも、会社員をやってみると、以外に楽(笑)。
    2年も経つと、あー、イージーな生活が送れるのだなと
    思ったものでした。

    ところで、本題です。旧通一次以降の1次二次試験のある
    入試制度とそれ以前の旧大学入試制度、一概に優劣は付け
    難いと思いますが、私が趣味で受験生の数学、国語などの
    センター試験、共通テストなどを教えている経験からすれば、
    今の1次試験内容は異様に映ります。特に、共通テスト。
    思考力を問うと謳いながら、出題されるのは、出題者の思考
    過程を追う事を強いる問題ばかり。例えば、数学の解は、
    多くの場合、複数あり得るのが常ですが、共通テストでは、
    出題者の思考をなぞることを共用されます。採点の事務的
    手間を省くという事から止むを得ないのでしょうが、
    旧大学入試ではあり得なかったことが強いられています。
    それをもって、思考力を問うとする文科省の姿勢に、
    暗然とするのは私だけではないものと確信しています。

    とりとめもない、雑談で恐縮です。しかし、今の
    入試制度の問題点の一端に関ることだと思い、また、
    旧大学入試とセンター以降の大学入試の両方を知る
    逢坂さんであれば、思うところもあるのではないか
    と思い、一筆差し上げた次第です。

    うらべ
    ―――――――――――――――

  2. 昨日、ご実家に車があるのを見て、戻られたのだと思い久方ぶりに「徒然日記」を拝見しました。78年のディランのコンサートに行った話、お土産とともに私も聞きました。記事を読みながら、こうしてまだ彼を覚えていてくださるのがうれしく、胸が熱くなりました。倶知安高校から日進堂までのまっすぐな道の登下校で、逢坂さん達同級生と絡み合って、雪の中に投げ合い、転がりながら楽しそうにしている彼の姿を思い出します。その日進堂も文化堂も店を閉め、私も良く立ち読みをした本屋がなくなり、町はすっかり様変わりしたのはご承知のことでしょう。亡くなって18年になります。その節は、政務ご多忙にもかかわらず駆けつけていただきましたのに、満足にお礼を述べることもできず申し訳ございませんでした。心からの謝辞と今後も変わらず声援、支持させていただくことをお伝えしたくて、過去の記事への投稿です。

    • ご丁寧に、そしてあたたかい言葉を本当にありがとうございます。

      78年のディランの話、あの頃の思い出、そして日進堂から高校にかけてのまっすぐな道を歩いた日々――
ひとつひとつの記憶が、今も私の中では大切な風景として息づいています。もちろん秀勝は、子どもの頃からの私の今も大切な友達です。

      あの時代の倶知安には、確かに本屋があり、笑い声があり、投げ合った雪の中にあたたかなみんなの面影がありました。
そんな日々を共に過ごした彼を、今もこうして覚えてくださっていることが、何より嬉しく、また胸が熱くなる思いです。

      亡くなられてから18年という年月が流れたとは思えないほど、秀勝の存在は今も私の心に生き続けています。お礼の言葉など無用です。思い出を分かち合えたことこそ、何よりのご縁であり、感謝しております。

      そして、今も変わらぬご声援とご支持のお言葉をいただけることは、政治に携わる者として、何よりの励みです。これからも初心を忘れず、誠実に、皆さまの暮らしと未来に寄り添う政治を続けてまいります。
      またいつか、どこかで、あの頃の風のようなひとときを語り合える日を楽しみにしております。
本当にありがとうございました。心からの感謝を込めて。🌿✨

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