徒然日記
岸田総理の国家像/逢坂誠二 #7621
【23年11月13日 その5924『逢坂誠二の徒然日記』#7621】 夜明け前の都内、空全体に雲が広がっています。ところどころ雲の切れた部分がありますが、星は見えません。今日は新月です。朝の気温は8度。日中は14度の見込みで、すっかり冬の雰囲気です。曇りのち晴れの予報です。
1)岸田総理の国家像 先日の予算委員会で、岸田総理に「戦後100年となる2045年をどんな気持ちで迎えるために総理の仕事をしているか」との質問をしました。
個別政策の議論も大切ですが、こうした中長期的な視点に関する議論も大切です。先の見通しをしっかり持った上で、国民や国のあり方を考えなければ、政策判断が近視眼的になって、将来を誤る恐れがあります。本来、予算委員会や党首討論ではこうした議論もすべきです。
もちろんこうした質疑をしても、日常のニュースで取り上げられることは多くはありませんが、一昨日の朝日新聞「多事奏論」で髙橋純子編集委員が言及してくれ、嬉しく感じました。
私の質問概要: 総理、あと22年たつと2045年なんですね、2045年といえば戦後100年です。この戦後100年を総理はどんな気持ちで迎えようとしているのか、どんな気持ちで今、総理の任についているのか、その感想をお伺いしたい。
私は日本が真の独立国、真の主権国家になるべきだと常々ずっと思っています。アメリカと日本の関係は大事です。切っても切れない重要な関係です。今、仮に官邸の前の道路に米軍のヘリが墜落しても、日本の警察は現場検証や捜査ができないんです。ほかにもそううことがいっぱいあるんですが、私は、本当の意味での主権国家になるんだ、独立国としてしっかりと自立をするんだ、そうい気概でこの国の政治をやっていきたいと思っています。
2045年、戦後100年、総理はどんな気持ちで迎えるつもりで、今、総理の仕事をされておられますか。
==質問概要終了==
私は、こんな質問をしたのですが、それに対する総理の答弁は以下です。岸田総理答弁の全文を引用し、「多事奏論」と同じように【】に、私の感想を追記します。
==以下、総理答弁と私の感想==
私自身の目指す国家像としては【国家像‼︎、そこまではなく、目指す方向のようなもの、戦後100年の重みみたいなものを聞きたかったのですが、そうか国家像を語るのね。それは聞きたいっ】やはり今現在、日本の国においては、各地において様々な立場で老若男女が生活をされているわけですが【なんだか答弁が不安】、やはり全ての人が生きがいを感じられる包摂的な社会を目指さなければならないと思っていますが【あれ、時間稼ぎかも。何を答えるかを考えている雰囲気がする】、そのために今、日本は国の内外で大きな変化に見舞われています。
この変化に臆することなく、逆に変化を力に変えるようなしたたかさを持って将来の国づくりを考えていかなければならない【こんなことを答えるなら、国家像なんて言わなければ、良かったのに】。
さらに言うと、変化を力に変えると同時に【同じ答弁を繰り返した、時間稼ぎ?】、明日は必ず今日より良くなると、希望を持てる国を作っていかなければならない【うーん、いつものフレーズですね】。
そのために、この変化に対応すると同時に、防衛力だけではなくして【防衛力への力点が強いのですね】、社会の変化、そして経済の変化についてもしっかりと向き合っていく【将来に向けての気概でも何でもないですね】、先送りできない課題に一つ一つ向き合っていく必要があると考えて政治に臨んでいるところであります【結局、自分で言い出した国家像は語られることはありませんでした】
==以上==
多事奏論風に私の感想を付け加えましたが、総理は、きっと今だけ、目の前の案件だけに気持ちが向いているのかもしれません。
将来、どんな日本にしたいのか、国民がどんな暮らし向きであるべきなのか、そのようなことにはあまり思いが至っておらず、もしかすると、この予算委員会の頃は、「解散」のタイミングを探っていただけかもしれません。
私は戦後100年は、極めて大事な節目だと考えています。
ドイツ、イタリア、日本と同じく敗戦国です。この二つの国の来し方と比較した際に、2045年時点で、日本の国民が何を思うのか、私は時折、そのことに思いを巡らせています。100年の節目が近づいてから、あれも必要だ、これも必要だと、世論やマスコミに急かされて、粗雑な対応をすれば、国民の気持ちは一気に萎えて、荒れるでしょう。
私は、戦後78年、日本は随分と遠回りをしたと思っています。今からでは、遅すぎる感はありますが、それでも戦後100年をどう迎えるかの準備を行うべきだと考えています。残された22年間で、日本のあり方の再構築が必要です。
私が現在考えていることは、防衛、教育、一次産業、エネルギー、さらに真の主権などです。もちろん経済、医療福祉などは当然大切なことですが、経済も医療福祉も国の目指す方向によって、そのあり方が大きく違ってきますので、まずは大きな国の方向を見定めることです。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。 ===2023.11.13===
ネットによる個人献金はこちらです。 go2senkyo.com/seijika/123556
iPadから送信
1)岸田総理の国家像 先日の予算委員会で、岸田総理に「戦後100年となる2045年をどんな気持ちで迎えるために総理の仕事をしているか」との質問をしました。
個別政策の議論も大切ですが、こうした中長期的な視点に関する議論も大切です。先の見通しをしっかり持った上で、国民や国のあり方を考えなければ、政策判断が近視眼的になって、将来を誤る恐れがあります。本来、予算委員会や党首討論ではこうした議論もすべきです。
もちろんこうした質疑をしても、日常のニュースで取り上げられることは多くはありませんが、一昨日の朝日新聞「多事奏論」で髙橋純子編集委員が言及してくれ、嬉しく感じました。
私の質問概要: 総理、あと22年たつと2045年なんですね、2045年といえば戦後100年です。この戦後100年を総理はどんな気持ちで迎えようとしているのか、どんな気持ちで今、総理の任についているのか、その感想をお伺いしたい。
私は日本が真の独立国、真の主権国家になるべきだと常々ずっと思っています。アメリカと日本の関係は大事です。切っても切れない重要な関係です。今、仮に官邸の前の道路に米軍のヘリが墜落しても、日本の警察は現場検証や捜査ができないんです。ほかにもそううことがいっぱいあるんですが、私は、本当の意味での主権国家になるんだ、独立国としてしっかりと自立をするんだ、そうい気概でこの国の政治をやっていきたいと思っています。
2045年、戦後100年、総理はどんな気持ちで迎えるつもりで、今、総理の仕事をされておられますか。
==質問概要終了==
私は、こんな質問をしたのですが、それに対する総理の答弁は以下です。岸田総理答弁の全文を引用し、「多事奏論」と同じように【】に、私の感想を追記します。
==以下、総理答弁と私の感想==
私自身の目指す国家像としては【国家像‼︎、そこまではなく、目指す方向のようなもの、戦後100年の重みみたいなものを聞きたかったのですが、そうか国家像を語るのね。それは聞きたいっ】やはり今現在、日本の国においては、各地において様々な立場で老若男女が生活をされているわけですが【なんだか答弁が不安】、やはり全ての人が生きがいを感じられる包摂的な社会を目指さなければならないと思っていますが【あれ、時間稼ぎかも。何を答えるかを考えている雰囲気がする】、そのために今、日本は国の内外で大きな変化に見舞われています。
この変化に臆することなく、逆に変化を力に変えるようなしたたかさを持って将来の国づくりを考えていかなければならない【こんなことを答えるなら、国家像なんて言わなければ、良かったのに】。
さらに言うと、変化を力に変えると同時に【同じ答弁を繰り返した、時間稼ぎ?】、明日は必ず今日より良くなると、希望を持てる国を作っていかなければならない【うーん、いつものフレーズですね】。
そのために、この変化に対応すると同時に、防衛力だけではなくして【防衛力への力点が強いのですね】、社会の変化、そして経済の変化についてもしっかりと向き合っていく【将来に向けての気概でも何でもないですね】、先送りできない課題に一つ一つ向き合っていく必要があると考えて政治に臨んでいるところであります【結局、自分で言い出した国家像は語られることはありませんでした】
==以上==
多事奏論風に私の感想を付け加えましたが、総理は、きっと今だけ、目の前の案件だけに気持ちが向いているのかもしれません。
将来、どんな日本にしたいのか、国民がどんな暮らし向きであるべきなのか、そのようなことにはあまり思いが至っておらず、もしかすると、この予算委員会の頃は、「解散」のタイミングを探っていただけかもしれません。
私は戦後100年は、極めて大事な節目だと考えています。
ドイツ、イタリア、日本と同じく敗戦国です。この二つの国の来し方と比較した際に、2045年時点で、日本の国民が何を思うのか、私は時折、そのことに思いを巡らせています。100年の節目が近づいてから、あれも必要だ、これも必要だと、世論やマスコミに急かされて、粗雑な対応をすれば、国民の気持ちは一気に萎えて、荒れるでしょう。
私は、戦後78年、日本は随分と遠回りをしたと思っています。今からでは、遅すぎる感はありますが、それでも戦後100年をどう迎えるかの準備を行うべきだと考えています。残された22年間で、日本のあり方の再構築が必要です。
私が現在考えていることは、防衛、教育、一次産業、エネルギー、さらに真の主権などです。もちろん経済、医療福祉などは当然大切なことですが、経済も医療福祉も国の目指す方向によって、そのあり方が大きく違ってきますので、まずは大きな国の方向を見定めることです。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。 ===2023.11.13===
ネットによる個人献金はこちらです。 go2senkyo.com/seijika/123556
iPadから送信
こんにちは。
主権国家、独立国家ですか。自民党には無理ですね。
そもそもが米国の「支援&援助」で出来た政党ですから。
「米国仕様」だとして嫌う日本国憲法の改憲議論を
自民党が時々仕掛けますが、国内守旧派、あるいは、
明治維新以降、大日本帝国憲法下で甘い汁を吸って
きた人々の郷愁へ共感する振りをして票を稼ぐため
のポーズに過ぎないですね。
時々、何を勘違いするのか、訳も分からず、戦後総決算等
と言いつつ、「本気」で取り組もうとする愚か者(ex.安倍氏等)
がいますけどね。それが愚かなことに、米国べったりの政策を
続けながらですから、下手な4コマ漫画を見ているようで、
笑う気にも成れない。しかし、ひょたんからコマ、出合頭の
衝突などで、とんでもないことも起こりかねません。野党が
彼らの用意する土俵に軽々に乗らないことを望みます。
私の戦後100年にあたって考える、あるべき日本の姿は、
至って平凡です。『人それぞれ、歩む道は違う。行く道が
荒野であるか沃野であるかは、自分の考え方次第』という
ものです。ただし、このままでは大きな誤解を生みます。
優勝劣敗を賛美、助長しかねないからです。「自分の考え方
次第」と言って平然としていられるのは、社会そのものの
底揚げがなされ、個々の人々が尊重され、かつ自律的で
自由に生きていくことが出来るだけの生活基盤が整い、
適切に運用されており、個々人が自身の将来の見通しを
立て、また変更することも容易となっていることが前提です。
さて、どうでしょうか。そういう社会の構築と維持、
簡単ではないですよね。当然、経済社会の姿も変わる
べきでしょう。もしかすると教育なども、そのあるべき姿
が今とは大きく違っているべきなのかもしれません。
しかし、目指して良い社会だと考えています。
うらべ
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