徒然日記
22年2月5日 その5279『逢坂誠二の徒然日記』(6976)
そのため今日の日記は移動中に書いています。
(通信環境の影響でうまくアップロードできるか心配です。)
東京の朝の気温は氷点下1度で、日中は晴れる見込みです。
北から寒気が入り込んでいるため、北日本は雪の予報です。
悪天候で予定通りのフライトにならない可能性もあると、
航空会社から事前の連絡を受けています。
その場合は、予定を変更しながらの移動となります。
この時期、厄介なことですが、雪国の宿命です。
1)北京オリンピック
昨夜、冬の北京オリンピックの開会式が行われました。
史上初めて夏と同じ開催都市で開かれます。
日本選手はもちろんのこと、
各国選手の活躍を大いに期待したいものです。
一方、オリンピックが
政治的駆け引きの道具となっていることに、大いなる危惧を覚えます。
もちろんこれは今に始まったことではなく、過去にもあったことです。
政治的な思惑や商業的な魂胆を抜きにした
純粋なスポーツの祭典を求めること自体に無理があるのかもしれません。
人類の知恵の限界を感じています。
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50年前の1972年2月3日は
札幌オリンピックの開会式でした。
多くの方はもうお忘れかも知れません、
私にとっては大きな出来事でした。
==以下は雑誌「ファウラ」への寄稿の一部分です==
1972年の札幌オリンピックの記憶は、トワエモアの「虹と雪のバラード」とともに、今も鮮明だ。
日の丸飛行隊と讃えられたジャンプの笠谷、金野、青地三選手のメダル独占の瞬間を、小学校の教室に設置されたばかりのテレビで観戦した。私は6年生だった。
このオリンピックを契機として、北海道の生活や社会の環境が大きく変化した。
地下鉄、地下街、高速道路の供用開始。冬の防寒着も、アノラックやヤッケなどから、厚手のコートやダウンなどへと一気に多様化した。それまで冬の履き物といえば黒いゴム長靴が中心だったが、防寒性の高いブーツやスノトレと呼ばれる冬用運動靴など変化した。特に冬に短靴を履くのは実に新鮮だった。
トワ・エ・モワが歌った札幌オリンピックのテーマソング「虹と雪のバラード」は、オリンピックを待ち焦がれる道民の気持ちを高ぶらせるものだった。この歌詞に「町ができる 美しい町が」や「生まれかわる サッポロの地に」との一節がある。まさにこのとおり札幌オリンピックが北海道の新しい時代の扉を開いたと思っている。
==以上、引用終了==
あれから50年を振り返りつつ、
今後の50年、100年を見据えた活動をして参ります。
さあ今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2022.2.5===
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lin.ee/DCyVX7R
こんにちは。
札幌オリンピックで確かに北海道、中でも札幌は生まれ変わった
ように大きな変貌があったようですね。オリンピックの翌年に
北大に入学した際、千歳からリムジンバスで道央道を走り、
道庁近くにあった日航営業所のバス停に着いて一歩町へ歩み
出た時の、空気の感触とでも言うべきものを、今でも鮮明に
覚えています。
振り返れば、私の知る札幌は、それまでの札幌とは別物だった
のかもしれません。大学の周りには札幌市の木であるナナカマド
が街路樹として植えられ、また、ポプラの木も例に並木だけ
ではなく、そこここに見られるような異国の風景でした。
10年に1度、同期会で札幌を訪問しますが、あの頃の
街路樹の続く街並みは消えつつあります。残念に思い、
20年前のどう開会後に札幌市長あてにメールでその旨を
伝えましたところ、担当課より市長の指示で関係部署に
回覧したと返事がありました。
都市も日々変化していくことは当たり前で、無暗に昔の
感傷に耽ることはさほど賢明なことではありませんが、
端的に言って今の札幌には、大都市化の悪い面、猥雑化
が目に付き、あの頃のほどの魅力はありません。更に一皮
むけてほしいと思う所以です。