徒然日記
21年8月15日 その5105『逢坂誠二 の徒然日記』(6802)
函館は街全体が霧に包まれた朝を迎えました。
朝の気温は17度。
先日までの猛暑は去り、季節が一変しました。
1)異常事態
九州をはじめ各地で豪雨災害が発生しています。
数十年に一度の豪雨に毎年見舞われる異常事態です。
昨日のコロナ感染数も12府県で過去最高を記録しています。
今のこの異常事態への対処が急務なのは言うまでもありません。
一方、今後もこうした事態が頻発する可能性があり、
災害に強い社会、感染に強い社会を構築する必要があります。
対症療法に加えて、原因療法も必要です。
社会のあり方の大きな転換点に立っています。
2)終戦の日
今日は76回目の終戦の日です。
以前にも書きましたが、やはり終戦の日には改めて言及します。
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私の父は、昭和6年に樺太で生まれた、戦後のいわゆる引揚者です。
伯母の一人は、樺太から「小笠原丸」で帰国の途につきましたが、
8月22日、留萌沖でソ連潜水艦に攻撃され 17歳で亡くなりました。
さらに叔母の一人とその子、つまり私のいとこ二人は、
終戦後の樺太でソ連戦闘機の機銃掃射に撃たれて亡くなりました。
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日本での終戦は8月15日との認識ですが、
樺太では 8月25日頃まで、ソ連との間で戦闘が続いていました。
いわゆる「樺太の戦い」です。
当時の南樺太には日本の民間人が40万人以上が居住しておりました。
8月11日ソ連軍侵攻後、緊急疎開が行われ、
10万人が島外避難に成功したようです。
しかし8月25日までソ連軍の無差別攻撃が行われ、
約2,000人の民間人が死亡したと言われていますが、
明らかになっていない部分も多くあります。
8月22日には小笠原丸をはじめとする緊急疎開船3隻が
ソ連軍に攻撃され約1,700名が死亡しています。
この樺太の戦いは、あまり知られておりませんが、
終戦の日以降も戦いが続き、多くの人が命を落としています。
また千島列島の占守島(しゅむしゅとう)でも、
8月18日から21日までソ連軍との間で戦闘が行われています。
今日は終戦の日ですが、終戦後も続いた
北の戦いのことも語り継いで行かねばなりません。
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===2021.8.15===