徒然日記

6月1日 その1770『逢坂誠二の徒然日記』



都内は今日も、雲の多い朝だ。

今日から6月。

時の流れは早い。

1)憲法審査会
昨日の衆院憲法審査会で、
第二章「戦争の放棄」について、
民主党の考え方を紹介させて頂いた。

その冒頭部分を紹介する。

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憲法は「国のかたち」を示す根本規範です。

私たち国会や、内閣、裁判所などは、
主権者である国民から、
憲法を通じてその公権力を委託され、
憲法の定めるルールに基づいて、
その公権力を行使します。

法律を作って国民に義務を課すことが、
憲法によって委託された国会の権限であるのに対し、
憲法は、主権者である国民が制定し、
国会等の公権力に命令するという意味で、
法律とは180度本質を異にしています。

もちろん、憲法といえども、
決してすり減ることのない
「不磨の大典」ではありません。

社会の変化に応じて、
不断の見直しが求められています。

そして、その見直しを行う主体も、
憲法で命令される側の国会ではなく、
主権者である国民自身です。

ここに、立憲政治の核心があります。

ところがこれまでの憲法議論は、
本来「まな板の上の鯉」である公権力の側が中心となり、
その内容も、公権力の都合ばかり優先される傾向がありました。

私たちは、本来の当事者である
国民自身の議論を喚起することこそが重要であり、
そのための素沿いを提供するという謙虚な姿勢で、
この「憲法提言」を取りまとめました。

その内容も、従来の憲法議論にとらわれることなく、
「国民主権をどうやって深化させるか」という視点に立っているつもりです。

そのことが端的に問われるのが、
憲法審議の焦点の一つとなっている9条の問題です。

今日では、日本が攻撃されたときに
自衛のための実力行使をすることや、
国連のもとでの平和維持活動に日本が協力することは、
国民大多数のコンセンサスになっていると考えます。

しかし、自衛や国際協力と名がつけば
何でもできるようにするという、
これまでの改憲論には与してはいません。

自衛権の行使や国際協力について、
国民が政府に対してきちんとした
歯止めの枠をはめることこそが、
国民主権に基づく憲法の役割だと考えます。

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憲法議論は重要なものであるのは論を待たない。

特に昨日の戦争の放棄については、
国民の関心も高く、席に座りきれないほどの傍聴があった。

中座する委員が多く、議員席に空席が目立ったのは、
何とも残念な状態だった。

今日も早朝から会合のため、
早めの行動開始だ。

さあ今日もしっかりと前進します。
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   2012・6・1 Seiji Ohsaka

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