徒然日記
3月5日 その1682『逢坂誠二の徒然日記』
都内は昨夕から弱い雨が降り始め、
その状態が今朝も続いてる。
朝の散歩に出ようと思ったのだが、気温も低く断念。
終日気温が低く、
雨模様の天候となる見込だ。
1)東京ニセコ会
昨日、東京ニセコ会が
都内のホテルで開催された。
昨年の3月に引き続き二回目の開催、
とても嬉しく思う。
第一回の開催には、
関係者の皆さんの相当な努力があったものと思うが、
こうした会を継続することは、
結構、骨の折れることだ。
しかし、昨年の開催からきっちり一年後に、
第二回目を催すことができたのは、
「ニセコ」という私たちの故郷に対する
愛慕の気持ちばかりではなく、
「ニセコ」という町の持つ潜在力のなせる技かもしれない。
もちろんこの愛慕の気持ちや潜在力に加えて、
この会を開催するために尽力頂いた
多くの皆さんの存在がなければ開催できないのは事実だ。
昨日も、会の運営の多くの皆さんが奔走していた。
とにかくこうした貴重な機会を与えて下さった皆様に
心から感謝申したい。
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昨年の第一回目の開催直後、
東日本大震災が発生した。
当時、総務大臣政務官を務めていた私にとって、
この一年は、多くの皆様同様、激動の時間となった。
そのため、故郷ニセコには、
ほとんど帰ることができなかった。
こんなに長い時間にわたってニセコを離れていたのは、
私の人生の中で初めてのことだと思う。
それだけに「ニセコ」への想いが募る一年だった。
お世話になったあの方は元気でいるだろうか。
体調を崩された知人は元気になられただろうか。
町政の懸案事項は上手く進んでいるだろうか。
羊蹄山、ニセコ連峰、昆布岳の山々は変わらぬ姿だろうか。
雪の状態はどうなっているだろうか。
毎日、毎日、知らずしらずのうちに、
ニセコにまつわるさまざまな思いが心の中を行き来する。
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昨日は、
東京ニセコ会の徳田会長の挨拶を皮切りに、
片山町長に加え、私にも挨拶の機会を頂いた。
その後、
スライドで現在のニセコの街並みや現状が伝えられた。
参加者全員が身じろぎもせず、
食い入るようにその画面を見つめた。
乾杯後の懇談では、
多くの方と話をさせて頂いたが、
時間不足と感ずるほど、
あっと言う間に予定の時間となってしまった。
私が町長時代にニセコ観光大使をお願いした
林家木久扇師匠の息子さん、
2代目林家木久蔵師匠も激励に駆けつけてくれた。
濃密な2時間半を過ごすことができた。
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ニセコに行きたくても行くことのできなかった、
私のニセコへの積もる想いを、
東京ニセコ会の場で、
多くのニセコ関係者の皆さんとともに、
しっかりと共有することができた。
多くの皆さんに、
さまざまな思いを込めて、
改めて心から感謝したい。
2)ラジオニセコ
3月31日、「ラジオニセコ」が、
道内26番目のコミュニティFMとして開局する。
たぶんカバーエリアの定住人口は、
道内で一番少ない放送局だ。
周波数は76.2MHz。
インターネットやスマートフォンでも聴取可能である、
その意味では、放送エリアは全世界となる。
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コミュニティFMは、
私が町長時代にも実現したいと考えていたものだ。
それが現実のものとなり、何とも嬉しい限りだ。
今から開局が楽しみだ。
さあ今日もしっかりと前進します。
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2012・3・5 Seiji Ohsaka
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