徒然日記
1月8日 その3110 『逢坂誠二の徒然日記』(4754)
昨日、地元予定を変更して、
北海道薬剤師会の東洋会長弔問のため札幌に向かった。
冷たくなってベッドに横たわる東洋会長にお会いして、
東洋会長の死が、真の現実のものになった。
国会に来てからの11年間、照る日も雨の日も、
東洋会長には終始一貫して、私を支えて頂いた。
ご遺体を目の前にして、語る言葉を失ってしまったが、
そのご恩は、絶対に忘れることのできない。
これからも、そのご恩に報いる働きをしなければならない。
心からご冥福をお祈りする。
合掌。
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TPPが、にわかに動き出す気配が強まっている。
2月4日に、ニュージーランドで関係国が調印する
という情報がニュージーランドで出ているのだ。
この真偽は分からないが、調印を急ぐ必要はない。
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私がTPPに反対だというと訝しがる方がいる。
逢坂さんは、自由貿易に反対なのかと。
私は、各国が仲良くなって、
人や物やお金がスムーズに行き来する社会は、ある種の理想だと思う。
だから一般論として、自由貿易を頭ごなしに否定するつもりはない。
しかし今回のTPPは、単なる自由貿易とは、全く性質の違うものだ。
20を超えるような幅広い分野に関し、
各国間の貿易をはじめとするやり取りや関係についてどうあるべきかを
遠い将来に渡って約束し、国のあり方を拘束するものだ。
その結果、日本の将来が、どの様なものになるのか十分には描けてはいない。
仮にGDPや貿易額について、将来推計ができたとしても、
地域がどう変化するのか、個々人の生活のありようがどうなるのか
などについての将来像は、全く不透明だ。
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川の向こう岸に金貨らしきものがある。
だからみんなで泳いで向こう岸に渡り、
その金貨を手に入れようと総理は言う。
みんなが安全に向こう岸にたどり着いて、
金貨らしきものを手にできればハッピーかもしれない。
しかし川の幅も水量も流速も、分かってはいない。
どんな川であっても、渡り切るだけの船を持っていたり、
泳ぐ力のある方にとっては、これは好都合な提案だ。
しかもその川を渡り切る力のある方がどの程度存在するのか、
実際のところ、総理も分かってはいない。
実際に川を渡り始めたら、どんなことが発生するのか、分からないのが現実だ。
これは無責任というものだろう。
TPPの怖さは、川を渡りたくない人にも襲いかかるかもしれない。
向こう岸からこちら側の金貨を求めてやってくる人もいるのだ。
その結果、こちら側の金貨の配分ルールが大きく変化し、
困る人たちが出るかもしれない。
そこで総理は、こちら側に留まる人にも、向こう岸に泳ぐ人にも、
お金を出すから対策を講ずべきという。
しかし、どんな対策をどの程度講ずれば良いのか、それは誰にも分からない。
少なくとも今、言えるのは、
過去にこの川を渡ったことのあるものにとっては、
有り難いことのようだ。
私は、この川を渡ることを否定しているのではない。
放っておいても、向こう岸との行き来は増えるだろうし、それが人の習性だ。
向こう岸の皆さんと、仲良く、どんどんと行き来できる社会が一つの理想だ。
しかし、それを一気に、あるいは一気でないにせよ、
遠い将来までを約束して、行き来のルールを決めるのが問題なのだ。
どこの川岸から、どんな方法で渡るのか、あるいは橋をかけるのか、
それをもっと丁寧に、日常的に行うことが必要だ。
目先の金貨的なものに目を奪われて、
川の深さも知らずに行き来を決めてしまうと、
幸福を手にできる人もいるかもしれないが、
多くの悲劇を生み出す可能性がある。
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TPPのような大規模で、先の予測が難しい取り決めではなく、
日本の国のありようを明確にしながら、
個別分野ごとに継続して交渉するのが、望ましいことだろう。
個別の分野で仕事をされる皆さんは、
自分の分野を中心にしてものを考えのは当然だ。
しかし、その個別分野でそれぞれが最適の行いを実現したからといって、
その集合体である社会全体が最適化するとは限らない。
個別分野の利害を乗り越えて、
社会全体の調和と最適を考えるのが、政治の一つの役割だ。
TPPに如何に関わるか、
それはまさに政治の真価が問われる場面だろう。
さあ今日も、確実に前進します。