徒然日記
9月6日 その2206『逢坂誠二の徒然日記』
昨日は、早朝からの移動、
さらに夜遅い帰宅・・・、
ちょっとした疲労感の中で、
今朝は目覚めている。
1)福島第一原発
昨日、現職、前職の超党派国会議員で、
福島第一原発を視察した。
私は、2011年3月11日の被災直後に福島入りしているが、
福島第一原子力発電所施設に入るのは初のことだ。
現場は、予想していたとおりの混乱状況だが、
実際に自分の目で、そのありさまを見てみると、
その混乱ぶり、惨状が、想像以上に
ぐいぐいと心に響いてくる。
百聞は一見にしかずだ。
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・現場の職員などは、
大変、苛酷な環境の中で頑張っている
・その頑張りには、敬意と尊敬以外のなにものもない
・
だが水処理、核燃料の取り出しなど、
事故収束の全体像が見えない
・
さらに廃炉の道筋は、
さらに先の見えない状態だ
・
東電と国の責任が曖昧
・
あいかわらず
経産省、環境省、規制庁など、
国の役所の役割も曖昧
・
こうした中で、
国民が気づかないうちに
電力会社会計の方式が変えらるおそれなどもあり、
国会をはじめ国民は相当な監視力が必要
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昨日は、激しい雷と強い雨の降る都内を、
早朝の特急で、いわき市に向かった。
9時18分:JRいわき駅到着(放射線量は、0.08μs/h)
いわき市からは、借り上げバスで、高速道路を利用して、
広野町サッカー場敷地に設置された
ホール・ボディ・カウンター(WBC)センターに向かう。
途中の高速道路での線量は、0.056μs/h
広野インターチェンジ付近の線量は、0.12μs/h
10時22分:WBCセンター到着
ホール・ボディ・カウンター(whole body counter)によって、
原子力施設入場前の私の体内に存在する
放射性物質を体外から計測する。
結果は異常なし。
その後、Jヴィレッジに移動。
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11時:
Jヴィレッジで、
まず身分証明書類等で本人確認をされた後、
首から下げる一時立ち入り許可証を交付される。
入所区分は、「C1(?)」とあるが、
入所にいくつかのランクがあるのだろう。
その後、岩崎副社長から、
原子力事故等についてお詫びがあった後、
小森フェローから、水処理をはじめとする現況や、
今後の対策などについて、昼食を取りながら説明を受ける
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11時20分:
Jヴィレッジから福島第一原発に向け、
東電準備のバスで移動開始
バス内の線量は、0.1〜0.2μs/h程度
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Jヴィレッジから福島第一原発に至る道のりは、
原発に近づくにつれ、心が破れそうな光景が広がる。
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除染された土などの入った1トン級の
黒のフレキシブルコンテナが道路脇に保管されている。
その数は百や二百ではないだろう。
千とも二千とも、行き場のない、
数えきれないほどのフレコンが
道路脇に一時保管されている。
黒いフレコンが広がるさまは異様だ。
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耕作をしなくなって3年目に入った田畑は草ボウボウだ。
先祖伝来の田や畑が、
たった2年数カ月で原野状態になっている。
田畑の再生は、簡単な話ではない。
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田畑だけではない。
道路脇の雑草も茂っているし、
住む人のいない家の周囲も草に囲まれている。
しかし、原発関係者なのだろうか、
通行車両は予想外に多い。
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11時38分:
富岡町入口の線量は、0.48μs/h
富岡町は、電気は使えるらしいが、
上下水道が復旧してないため、
人の姿はほとんど見えない。
11時45分:
富岡町の線量は、0.9μs/h
11時47分:
富岡町の帰還困難地域の線量は、1.8μs/h
帰還困難地域には、一般車両は入ることができない。
当然、交通量が激減する。
看板の落ちたドラックストア。
駐車場に草の繁茂する安売りスーパー。
べニア板が打ち付けられたコンビニ。
ガソリンスタンドの給油装置はブルーシートで覆われ、
整備工場のシャッターは壊れたまま。
雑草が茂って閉ざされた人家の入口。
2011年3月11日から時間が止まっている。
しかも単に時間が止まっただけではなく、
建物はこの2年半分、確実に朽ち果てている。
泣きたくなるような光景だ。
11時50分:
ほぼ全域が帰還困難地域になっている大熊町に入る。
(線量は、2.2μs/h)
富岡町と似たような光景が広がるが、
静かさには拍車がかかった印象がある。
11時54分:
福島第一原発への進入路へ右折する。
まだ原発敷地内ではないが、線量は10μs/h程度。
ホット・スポットがあるという。
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12時前:
福島第一原発に到着し、
入退域管理棟で、線量計の貸与を受け、
防護服を着用する。
青の防護服(タイベック)、全面マスク、帽子、
白手袋、ゴム手袋、靴カバーを
自分が着ている長袖、長ズボンの上から着用する。
12時18分:
入退域管理棟から免震重要棟へ、
構内専用と思われるバスで移動
免震重要棟に近づくにつれ、
線量が、10、13、20μs/hと徐々に高くなる。
12時27分:
免震重要棟で相澤取締役から挨拶がある。
冒頭、汚染水漏れに関するお詫び。
その後、6月に着任した小野所長から説明を受ける。
(亡くなった吉田所長の後任は高橋所長。
小野所長は事故後三人目の所長。)
免震重要棟で働く所員の皆さんを激励した後、
免震重要棟の説明を受け、
さらに厳重な防護服へと着替える。
ここでの防護服への着替えは、
自分が身につけているパンツ以外は、
全て貸与品を身につけることになる。
長袖と股引状の下着。
保冷剤が前、後ろに
それぞれ二個づつ入ったクールベスト。
白い上下一体の防護服(タイベック)
綿の靴下を二重に履く。
白布手袋の上に薄ゴム手を二重につける。
一つ目のゴム手袋を付けた段階で、
袖が捲れないようゴム手の中に袖を入れて、
その上から幅広のテープでぐるぐる巻きにする。
そしてさらに二つ目のゴム手袋をつける。
帽子。
顔全面を覆うマスク。
長靴。さらに靴カバー。
そしてヘルメット。
こんな恰好で、免震重要棟を出て、
バスで発電所敷地内の視察に入る。
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乾式キャスク仮保管設備
多核種除去施設
漏えいしたH4タンクエリア、
さらに排水路
地下水バイパス揚水井
1〜4号機の外観
滞留水処理設備制御室
H6タンクエリア
4号機原子炉建屋
港湾内汚染水漏れ対策工事個所
海側からの1〜4号機
乾式キャスク保管庫
原子炉注水ポンプ、処理水貯蔵タンク
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バスで、これらの施設を見て回ったが、
途中二か所では降車してタンクの様子などを見た。
また線量計の値は、20、30μs/hと徐々に上がり、
途中では90μs/h、さらに3号機のそばでは900μs/h。
これらの値は、線量計によってばらつきがあり、
私にはどれが正確な値なのかは良く分からなかったが、
とにかく原子炉に近づくにつれ高くなるのは確実だ。
さらに3号機付近で、
多くの線量計の値が跳ねあがったのには、
さすがに驚いた。
しかも900μs/hとは、
ほぼ1ms/hに近い驚愕の数値だ。
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以上のような日程で視察を終え、
重要免震棟で、再び白の防護服から青の防護服に着替えて、
入退域管理棟に向かう。
そこで被爆線量のチェックを行なう。
私の被ばく量は、0.02μsで、特に問題なし。
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その後、再度、WBCセンターに向かい、
ホール・ボディ・カウンター(whole body counter)によって、
原子力施設入場語の私の体内に存在する
放射性物質を体外から計測する。
これも異常なし。
さらに再度、Jヴィレッジに向かい、
石崎副社長、小森フェローらから、
補足的説明を受けて、全日程を終了し、
再度、借り上げバスで、JRいわき駅に向かう。
このバスの中にも、小森フェローに同乗頂き、
水処理の動向等について、意見交換を行う。
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17時50分頃、
JRいわき駅に到着し、解散となった。
以上の日程で福島第一原発の視察調査を行ったが、
今朝は、これで時間切れのため、
さらなる詳細は、明日以降、
この日記等で報告したいと思う。
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またここで改めて、
福島第一原発事故の収束に向けて日々懸命の努力をされている
東電職員をはじめ関係者の皆さんに改めて感謝します。
さらに極めて忙しい中、
丁寧に対応を頂いた相澤善吾東電副社長、
石崎芳行代表執行役副社長、
小野明福島第一原発所長、
石崎芳行代表執行役副社長、
小森明生フェローをはじめ
多くの皆様にお礼を申し上げます
さあ今日も、しっかりと前進します。
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2013・9・6 Seiji Ohsaka
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