徒然日記

またしても「記録がない」で終わるのか 【26年10月21日 『逢坂誠二の徒然日記』8692回】

気温の高い日もありますが、季節は確実に秋の深まりを見せています。
朝の街頭活動でも、冷たい空気に秋の深まりを感じるようになりました。日ごとに寒さが増し、冬の足音も少しずつ近づいています。

1)またしても「記録がない」で終わるのか
簗前大臣の件、またしても同じことが繰り返されるのでしょうか。

この10年余り、政府に何か問題が発生すると、「メモがない」「記録がない」という説明が繰り返されてきました。記録があっても廃棄したなどと説明され、結局、真相が分からないまま終わった問題ばかりです。

今回もそれと同じことを繰り返すのでしょうか。
いい加減にすべきです。

役所の職員は、打ち合わせや会議の際、通常はメモを取ります。私自身、長年行政と政治の現場に身を置いてきましたが、こちらからあえてメモを取らないようお願いしない限り、職員がメモを取るのは日常的なことでした。

今回の国土交通省の説明には、どうしても納得できない点があります。

10月6日、国交省の当初説明
国交省は、簗氏と当時の官房長との面会について、「細かなメモは作っていない」と説明しました。また、やり取りを明確には覚えておらず、圧力を受けた認識はないとの説明も行われました。

10月9日、井林国交大臣の説明
井林大臣は、内閣府の「行政文書の管理に関するガイドライン」を踏まえ、記録を作成する必要はないと判断した旨を説明しています。

私は、どうしても確認したいことがあります。
このガイドラインに基づく判断は、いったいいつ、誰が行ったのでしょうか。
2月の簗氏と国交省官房長との面談前だったのでしょうか。それとも面談後だったのでしょうか。
面談の前から、その内容が記録作成を必要としないものだと判断するのは、通常は困難でしょう。

それでは、面談後のいつの時点で、記録作成が不要だと判断したのでしょうか。
問題が表面化してから、過去の面談について記録作成の必要がなかったと整理した可能性も否定できません。

さらに、個人的な備忘メモが存在した可能性についても、確認する必要があります。
公文書管理法では、職員が職務上作成した文書のうち、組織的に用いるものとして行政機関が保有しているものは、行政文書に該当します。
したがって、仮に個人メモが存在し、それが組織内で共有され、ガイドラインに該当しないとの判断に利用されていたのであれば、行政文書に該当する可能性があります。

単に「個人メモだから公文書ではない」という説明では済まされないのです。
もちろん、現時点でメモの存在や廃棄、隠蔽が確認されたわけではありません。しかし、だからこそ、記録を作成しなかった経緯について、客観的な説明が必要なのです。

10月13日の井林大臣の会見では、記者が非公式なメモの存在について繰り返し質問しましたが、大臣は「記録自体が作成されていない」との説明を繰り返しました。
それならば、面談の内容をどのように確認し、何を根拠に予算配分への影響がなかったと判断したのでしょうか。
記録がないから確認できないというのであれば、問題がなかったと判断する根拠も問われます。

今回の問題は、簗氏が大臣を辞任すれば終わるというものではありません。
選挙時に予算を人質にして買収や恫喝まがいのことを行っていたのではないか、国の予算配分が政治的な意向によって左右されていたのではなかいという問題に加え、行政の意思決定過程が適切に記録され、検証可能な状態になっているかという問題でもあります。

記録を残さない行政は、後から検証できない行政です。
国交省は、記録作成を不要と判断した時期、判断者、判断根拠、そして面談後の情報の取り扱いについて、具体的に説明すべきです。
今回もまた「記録がない」で幕引きにすることは許されません。

こんな前近代的で非論理的なやり取りにピリオドを打つべきです。

今回の簗大臣問題は、色々な意味でチャンスなのです。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年10月21日 その6995『逢坂誠二の徒然日記』8692回】

#逢坂誠二 #歩く歩く聞く聞く
#函館

  
  

皆様のコメントを受け付けております。

記事に投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です