徒然日記

My Back Pages 【26年10月16日 『逢坂誠二の徒然日記』8687回】

武部新さんが、農林水産大臣に就任しました。ご就任おめでとうございます。
北海道出身の武部大臣は、北海道のジャガイモ農家の皆さんの思いや、生産現場の実情を十分にご理解されていることと思います。米国産生ジャガイモの一般流通向け輸入解禁については、病害虫の侵入リスクなど、生産者の皆さんが強い不安を抱いています。日本のジャガイモ生産を守るため、輸入解禁を認めないよう、強くお願いいたします。

My Back Pages
一昨夜、早寝した影響なのか、小さなミサイルで攻撃される夢を見ました。すっかり目が冴えてしまい、午前1時頃から朝まで起きていました。
その影響もあって、昨日は昼頃から激しい睡魔に襲われ、散々な一日となりました。
そんなこともあってか、少し仕事から離れ、ボブ・ディランの音楽や歌詞のことを考えていました。
中学生の頃から親しんできたディランの曲の一つに「My Back Pages」があります。若い頃は歌い出しが好きでしたが、今は、繰り返し歌われる「あの頃の私はずっと年老いていた。今の私は、あの頃より若い」という一節が、心に響きます。
以下は、2022年、倶知安高校の創立100周年記念誌に寄稿した文章です。高校時代を振り返り、最後に「My Back Pages」の一節を引用しています。
少し長くなりますが、紹介します。

以下、引用

==My Back Pages(マイ・バック・ページズ)==

1975年4月、私は倶知安高校に入学しました。懐かしく楽しい思い出も、思い出すのも嫌になるような出来事もありました。「幼稚だったなぁ」と思うと同時に、「色々と考えていたんだなぁ」と思うこともあります。

「徒然ノート」、「徒然のおと」、「徒然の音」、どれだったか忘れましたが、私たちのクラスには、そんな名前のノートがありました。クラスの誰でもがどんなことでも書き込めて、クラスの誰でもが読めるノートです。今でいえば、ノート版SNSのようなものでしょうか。ノートですからSNSのように、複数の人が同時に書くことはできません。何らかのルールがあって書き込む順番が決まっていたのかどうかは忘れましたが、毎日、毎日、あのノートを読んだり、書いたりするのが楽しみでした。そのノートに、マルクス経済学者の向坂逸郎さんのことを書き込むような剛の者がいたのは驚きでした。あの時代、学生たちは自分の年齢以上に背伸びして難しい本を読んでいたのかもしれません。その剛の者は、今、道内の某優良企業の幹部を務めています。もし今、あのノートが見つかったならば、懐かしさのあまり貪るように読むのか、あまりにも恥ずかしい内容で読むのを止めるのか、いずれになるのでしょうか。まさかあのノートを保管している人はいないでしょうね。

「甘太郎」、この名前を聞くと今も心が躍ります。甘太郎とは、一般的には今川焼きといわれている、小麦粉などの生地に餡を入れて金属の焼き型で焼いた和菓子です。学校から歩いて10分程度の国道沿いにそれを売る店がありました。無口でちょっと太めのおじさんと愛想の良いおばちゃんが経営する小さな店舗で、店名もズバリ「甘太郎」です。甘太郎は粒あんとクリームの2種類。授業をこっそり抜け出してそれを買いに行ったり、放課後に甘太郎でダラダラと時間を過ごしたものです。甘太郎のメニューにはラーメンもありました。麺が少しのびた感じで柔らかいのですが、懐に余裕のある時に食べるあのラーメンの味は忘れられません。

当時愛読していた雑誌の一つが、「ビックリハウス」です。編集長の高橋章子さんや第1回鉛筆賞の入選の窪田僚さんは、私の憧れの存在でした。「えびぞる」、「まいっちんぐ」、「バイなら」、「びっくらげーしょん」などは、ビックリハウス発の言葉です。この雑誌に、近所に住んでいる方など有名ではない当たり前の方を、ハガキ投票によって有名人に仕立て上げるコーナーがありました。
「甘太郎のおばちゃんを有名人にしよう。」
誰が発案したのか忘れましたが、とにかくせっせせっせと葉書を出し続け、「甘太郎のおばちゃん」を有名人の2位に押し上げたのも懐かしい思い出です。

私の実家は、父と母が切り盛りする小さな商店でした。扱う品目は、カッコ良く言えば今のコンビニのようなもの、昔風で言えば田舎の万屋(よろずや)です。同じクラスの中に、酒やタバコ売る店の子どもが私以外に2人おり、週末ごとに、それぞれの家に遊びに行って、わいわいがやがやと騒いでいた時期もありました。そこで何をしていたのかは、ご想像にお任せします。

私は、入学と同時に、中学の頃から交流のあった陸上部に入りました。(同時に、放送局、演劇部、生徒会にも所属していました。やりすぎだったと思います。)春の新人戦などでも、まあまあの成績を残すなど、陸上競技は順調な滑り出しでした。一方、家業の一環の朝のヤクルト配達は、高校に入っても継続していました。朝4時頃に起床し配達を終えてから学校に向かいます。放課後は集金も待ち受けています。中学時代は学校が近かったこともあり家業、クラブ活動、授業を何とか並行して行うことができましたが、高校へは汽車通学です。しかも朝ひと列車、夕方ふた列車しかありません。そんな中で、家業と陸上部の活動を両立させることは極めて困難です。夏合宿の直前だったと思います。合宿に行けないことで、母と口論になり、結局は陸上をやめることにしました。一緒に陸上競技をやっていた仲間には、本当に申し訳なかったのですが、さまざまな状況を思うと致し方のない判断でした。

放送局主催の「レコードコンサート」なんてものもありました。図書室で単にレコード聞くだけの催しです。曲目は全校生徒に呼びかけて投票で決めます。投票の結果、1位になったのがPPMの「パフ」、2位はチューリップの「千鳥橋渋滞」でした。放送局の部室は、うなぎの寝床のような細長く狭い部屋。そこに三菱のスタジオモニターと呼ばれる、性能の良いスピーカーがありました。そのスピーカーを図書室に持ち出してのコンサートです。
「レシーバーを借りたいのですが」
「レシーバーって何か知っているのか」
「アンプとチューナーが一緒になったものです」
こんなやりとりをしながら電気科の先生からレシーバーを借り、当日を迎えました。このコンサートは1年生の時に1度実施しただけですが、なぜかこのことを良く思い出します。来場者が、たった3、4人だったからかもしれません。

放送局では数本のラジオ番組も作りました。羊蹄山の登山口付近に「半月湖」という小さな湖があります。その裏側にあまり知られていない「新月湖」という極めて小さな水溜まりがあり、それを題材とした番組を作ったこともありました。地域の高齢者のインタビューを交えたり、雪どけ時期の新月湖探検の音声を交えたりして、随分と手間をかけて作成しました。その番組は何かのコンテストで賞をもらったのかもしれません。
NHK主催のアナウンス全国大会で、国木田独歩の「武蔵野」を朗読したY先輩の声は今も私の頭の中に響き渡っています。

倶高の3年間、自分の将来について随分と悩んでいました。どんな勉強をすべきか、どんな仕事に就くべきか、どんな人生にすべきなのか。特に悩んだのが、文系、理系、どちらに進むかでした。数学や物理も、国語や社会もいずれも好きな教科でした。最終的には、研究職になることを想定しつつ理系に進む決断をしました。理系の学問は施設や設備がないと学べないものが多いのですが、文系の学問は必ずしもそうした制約が多くはないということも理系を選択した理由の一つでした。

高校時代の思い出は、書き出すとキリがありません。学食の「天玉丼」のこと、石炭庫で先輩に殴られたこと、校歌や応援歌のこと、夭逝したT君のことも書きたかったのですが、いずれかの機会にします。

たった3年の高校生活ですが、今振り返ると、あの3年間に私の人生に影響を与えたさまざまな要素が凝縮されていることが分かります。自分が高校生だったその瞬間に、あの時代に行ったこと体験したことが、そんなことになることが分かろうはずもありません。ただ悩み、迷い、もがいていたそれだけの3年間です。もっとこうすれば良かったなどの後悔もあります。あの過ぎ去った高校時代のことを、今、変えようとしても変わるものではなく、そのままストレートに受け入れるしかありません。だからこそ、後輩の皆さんには、陳腐な言葉ですが、「悔いのない高校生活」を送って頂きたいと思うのです。

あれから半世紀近くが経過し、人口減少、経済停滞など私たちを取り巻く環境は、国際情勢も含め大きく変化しました。私は今、多くの皆さんに支えられながら、高校時代には予想もしなかった政治の世界に身を置いています。国民の「命と暮らしを守る」という政治の役割を、これからも迷うことなく確実に果たして行きたいと考えています。

Ah, but I was so much older then,I’m younger than that now.
(ああ、だが私はとても年老いていた。そして今、私はあの頃よりも若い。)

これはボブ・ディランの歌「My Back Pages」の一節です。ディランは80歳にして連日コンサートを続け、まるで迷いなき若者の勢いです。後悔の多い私の高校時代ですが、この歌の一節と重ねれば、迷って勢いのなかった昔の自分よりも今はもっと若いと感じています。
後輩の皆さん、迷うのは当たり前のことです。心配することなく、ただ精一杯、力強く進んでください。

==以上、引用終了==

この原稿を書いてから4年。今も迷うことばかりですが、昔より若い自分でありたいと思っています。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年10月16日 その6990『逢坂誠二の徒然日記』8687回】

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