徒然日記

高橋和巳を再び読む 【26年10月12日 『逢坂誠二の徒然日記』8683回】

今日はスポーツの日です。

1)高橋和巳を再び読む
最近、新しい小説を読んでいません。
本そのものは結構読んでいるのですが、小説とは少しご無沙汰しています。
日々、文章を書いたり、人前で話したりと、いわば放電一方の時間が大半です。じっくりと小説を読み、自分の中に何かを蓄える時間、つまり充電も放電と同時に必要なのかもしれません。
新しい小説も読みたいと思っているのですが、先日来、高橋和巳のことが頭を離れません。

高橋和巳は、学生運動が盛んだった1960年代に京都大学で教鞭をとり、小説や評論を書いていた作家です。1971年、39歳の若さで亡くなりました。
私よりも一回りほど上の世代の皆さんが、よく読んでいた方です。短い生涯でしたが、その作品や思想は、当時の若い世代に大きな影響を与えたと言われています。
私が小学生の頃、近所には、私よりも一回り、あるいはもう少し年上の方々が多く住んでいました。その皆さんから、良いことも、悪いことも含め本当に色々なことを教えてもらいました。高橋和巳のことも、その中で知ったのだと思います。

中学3年生から高校生の頃、当時、文庫本で手に入る高橋和巳の作品を片っ端から読んだ記憶があります。
高校への通学路の途中に、日進堂書店という本屋さんがありました。そこの文庫棚に並ぶ高橋和巳の作品を、刊行された順番に読んでいったのだと思います。
難しくて、よく分からないところもたくさんありました。
それでも、年上の皆さんが親しんでいる作品を自分も読んでいる。そんなことに、少し背伸びした気分になっていたのでしょう。
今思えば、分かったような顔をして、そんな自分に酔っていたのかもしれません。

予備校に通っていた頃だったと思います。
高橋和巳の妻で、作家でもある高橋たか子さんが、『高橋和巳の思い出』という回想記を出版しました。
和巳本人の作品を離れ、妻の目を通して語られる和巳に触れるのは、何か知らない秘密を発見するようで、ワクワクしたものでした。
その回想記の中に、高橋和巳と「虚無僧」を結びつける記述があったと記憶しています。

それまで私にとって虚無僧といえば、テレビの時代劇『隠密剣士』に登場する、深い編み笠をかぶって尺八を吹く、あの姿でした。
しかし、高橋たか子さんの文章を読んで、虚無僧に対する子どもじみた印象が一変しました。
誰に理解されるかも分からないまま、それでも自分の信じるものを抱え、尺八を吹きながら歩き続ける。その姿が、高橋和巳の生き方と重なって見えたのです。

理想をどう追求するのか。
理想と現実には大きな隔たりがあります。その隔たりに、現実の中でどう向き合うのか。
多数者の意見が、必ずしも正しいとは限りません。少数者の意見の方が正しいこともあります。しかし、少数者の意見は、なかなか実現しないことが多いのです。
どんなにつらくても、自分を律して進む。
孤立無援であっても、安易に妥協しない。
しかし、理想を掲げるだけではなく、現実の中でどう生きるかも重要です。

当時、こんなことが頭をよぎっていたのかもしれません。
もちろん、十代の私が、こうしたことを明確に考えていたわけではないでしょう。今になって振り返るからこそ、そう思えるのかもしれません。
新しい小説も読みたいのですが、高橋和巳の作品を、もう一度手に取ってみたくなりました。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年10月12日 その6986『逢坂誠二の徒然日記』8683回】

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#函館

  
  

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