徒然日記

北海道大学創基150周年 【26年9月27日 『逢坂誠二の徒然日記』8668回】

今日は中秋の名月から2日遅れの満月です。秋らしい雰囲気が漂っています。

1)北海道大学創基150周年
北海道大学の歴史は、1876年(明治9年)に開校した札幌農学校に始まります。今年2026年は、それから150年の節目に当たります。

昨日、北海道大学創基150周年の記念式典に来賓として招待され、出席しました。
北海道大学交響楽団、通称「オケラ」が演奏する「都ぞ弥生」を聞きながら、さまざまな思いが脳裏をよぎりました。

私は1年浪人して、1979年に北大に入学しました。
北大を選んだ理由はいくつかあります。国立大学で授業料が安いこと。地元北海道にあること。そして何よりも、「自由」だったことです。

私が最初に受験し、不合格となった1978年は、国立大学の入試が一期校、二期校に分かれていた最後の年でした。
当時の北大は、学部・学科ごとに細かく学生を募集するのではなく、理類、文類、水産、医進、歯進という大きな括りで入学者を募集していました。
理類に合格すれば、農学部、工学部、薬学部、獣医学部などへ進むことができました。文類なら、法学部、文学部、経済学部、教育学部などから進路を選ぶことができました。

高校生の頃、私は文系に進むか、理系に進むかで相当迷っていました。
文系、理系にかかわらず幅広く勉強したい。そして、あまり早く自分の専門を決めたくない。そんな思いがあったからです。
そのため、当時の私は「教養学部」のようなところが自分には合っているのではないか、と考えていました。しかし北海道には、私が思い描いていたような教養学部はありませんでした。
そんな私にとって、専門を決めるまで時間のある北大の仕組みは、まさにうってつけでした。

一浪した1979年は、共通一次試験が始まった年です。
この年、北大はそれまでの「理類」という大きな括りをやめ、理1(物理系)、理2(化学系)、理3(生物系)の三つに分けて入試を行うようになりました。私は、浪人時代に新たに勉強した生物を基本とする理3の道を選びました。
前年より入口の括りは狭くなりましたが、それでも専門を最終的に決めるのは2年生の後半です。
入学してから、自分は何を学びたいのか、どの道へ進みたいのかを考える時間が、1年半ほど残されていました。
高校を卒業したばかりの若者にとって、この「すぐには専門を決めなくてもよい」という時間は、とても大きな意味を持っていたと思います。
そして、それもまた、私が感じていた「北大の自由」の一つだったのです。

最終的に私は、免疫学の研究者になることを考え、薬学部に進むことを決めました。
ところが、薬学部の説明会で相談に乗ってくれた先生から、思いがけないことを言われました。
「化学を勉強していない学生に薬学は厳しい。」

私は、最初の大学入試では物理と地学を、二度目の入試では物理と生物を選択しており、本格的に化学を勉強したことがなかったのです。説明会では、「化学をやっていない学生が4年で卒業するのは難しい」とまで言われました。

当時の北大では、入学後1年半の教養課程の成績順に、希望する学部・学科を選ぶことができました。人気のあるところから定員が埋まっていきます。
当時、一番人気があったのは獣医学部、その次が薬学部でした。
私は第一希望を薬学部、次いで農学部農芸化学、理学部化学としました。
そして何と運の良いことに、薬学部の定員80人のうち、79番目の成績で学部移行がかないました。
化学を本格的に勉強していなかった学生でも、本人が希望し、成績が届けば薬学部へ進むことができる。これもまた、当時の北大の「自由」の一つだったと思います。

薬学部へ移行してからは、有機化学などで相当に苦労しました。それでも何とか勉強を続け、大学院の試験を受けられるところまでたどり着きました。
ところが、大学院試験の直前に父が病気になり、私は大学院進学をあきらめることになりました。
免疫学の研究者になることを考えていた私にとって、それは大きな挫折。失意のどん底でした。
そして最終的に、生まれ故郷のニセコ町役場に勤める道を選びました。しかし、自分の気持ちは晴れないままでした。

そんな私に、所属していた物理化学講座の小畠陽之助教授が、こんな言葉を贈ってくれました。

「私は、あなたに物理化学を教えたつもりはない。物理化学という学問を通して、ものを考える一般的な力を教えたつもりだ。だからあなたは、どんな世界に行っても、やって行ける。頑張りなさい。」

大学院への進学をあきらめ、必ずしも自分が望んでいたわけではない町役場の公務員になることに、まだ納得のいかなかった私でした。
しかし、小畠先生のこの言葉に大きく背中を押され、私は社会人としての一歩を踏み出しました。
振り返れば、小畠先生の言葉は、その後の私の人生にもつながっています。

何を専門として学んだかは重要です。しかし、それだけではありません。
どうものを考えるか。その力を身につけることも、極めて重要なのです。ものを考える力は大学を離れ、全く違う世界に進んでも、自分の中に残り続けるものです。

私は高校生の頃、教養学部で学びたいと思っていました。しかし、その希望はかないませんでした。
その後、私は理系の研究者をめざして薬学部に進みました。しかし研究者への道を断念し、ニセコ町役場に入り、自治の現場に身を置くことになりました。そして、その仕事はやがて法律や行政、政治と強く結びついていきました。
こうしてこれまでの歩みを振り返ってみると、理系、文系という枠を越え、さまざまな分野に触れながら、ものを考えてきたように思います。
はからずも私は、自分が若い頃に望んでいた「教養学部的な学び」を、大学卒業後も含めた長い時間の中で続けてきたのかもしれません。

昨日の創基150周年記念式典では、こんなことをはじめ、学生時代のさまざまな出来事が次々と思い出されました。
そして同時に、これから自分は何を大切にし、どのように歩んでいくのかを、改めて確認する機会にもなりました。
北大はもとより、私を育んでくれた多くの皆さんに心から感謝しております。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年9月27日 その6971『逢坂誠二の徒然日記』8668回】

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