徒然日記

森友事件【26年5月27日 『逢坂誠二の徒然日記』8545回】

昨日、再審法改正法案が、衆院で審議入りしました。政府案ではなく、議連案の早期成立を願っています。

1)森友事件
森友事件をめぐり赤木雅子さんが、一昨日、これ前非開示とされた一部の文書の開示を求め、再び国を提訴することを明らかにしました。

これまでこの事件に関し、約15万ページに及ぶ文書が開示されました。しかし、なぜ改ざんが必要と判断されたのか、誰がどの段階で方向性を決めたのか、どのような指示系統だったのか、などの核心部分は、依然として明確になっていません。しかも開示文書も黒塗りの多いものです。
さらに酷いのは、一部メールは既に消去されていた、職員へのヒアリング記録は開示対象に含まれていなかった、非開示文書もまだ残されている、という状況です。

赤木雅子さんが、再度、国を訴えることに十分な理由があります。

森友事件は、単なる国有地売却問題ではなく、日本の民主主義や行政のあり方に深い課題を突きつけた事件です。

特に大きかったのは、公文書改ざんの問題です。公文書は、誰が、どこで、どのように意思決定したのかを後から検証するための重要な記録です。しかし、森友事件では、国会答弁との整合性を取るために決裁文書が改ざんされました。これは単なる不祥事ではなく、国家の意思決定の履歴そのものが壊されたという深刻な問題です。

また、この事件では「忖度」という言葉が社会に定着しました。明確な指示がなくても、政治的な意向を推測し、組織が自発的に動いてしまう構造が浮き彫りになりました。問題は、誰かが直接命令したかどうかだけではありません。行政組織が、なぜそこまで政治に配慮せざるを得なかったのかという点です。もし行政が常に政治的影響を過度に意識するようになれば、中立性や公平性は大きく損なわれます。

さらに、国会による行政監視の限界も露呈しました。文書が廃棄された、存在しない、嘘の説明繰り返すといった状況では、事実確認そのものが困難になります。民主主義は、後から検証できることが前提ですが、記録が失われれば検証も責任追及もできません。

森友事件が示した最大の教訓は、制度や法律だけでは民主主義は守れないということです。記録を残し、情報を公開し、説明責任を果たすという基本が守られてこそ、国民は政治と行政を信頼できます。この事件は、日本社会にその原点を改めて問いかけています。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年5月27日 その6848『逢坂誠二の徒然日記』8545回】

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