徒然日記

15年目の1日を過ぎて【26年3月12日 『逢坂誠二の徒然日記』8469回】

午前4時の函館、まだ暗く薄雲が広がっています。零度程度です。日中は晴れ、6度程度になる見込みです。

1)15年目の1日を過ぎて
昨日、テレビでは終日、東日本大震災に関するニュースが流れていました。数多くの報道に触れながら、改めて15年前を噛みしめています。

避難所を訪問したときのことです。ある町の町長さんが、私の前で涙を流されました。
その町長さんは、町民を避難させたタイミングをめぐり、当時、厳しい批判にさらされていました。

「町民を少しでも安全な場所に避難させたい。何の情報もない中で、その一心で判断した。逢坂さんも町長だったから、その判断の意味が分かるだろう。」

避難している体育館の事務室での一場面です。町長さんの背後には、お孫さんが描いたのでしょうか、クレヨンの絵が貼られていました。

別の町長さんとは電話で話しました。
「私が県の職員として指導した町の防災計画が、何の役にも立たなかった。」
自分が関わった防災計画が机上の空論だったことを悔やみ、この方も涙を流しておられました。

福島第一原発の冷却をめぐっては、本当に多くのことがあり過ぎました。
錯綜する情報の中で、何を拠り所に判断すべきか分からない。まさに手探りの中で、決断するしかありませんでした。

原発事故への対応について、今も様々な批判があります。
しかし、あらかじめ用意されていた手順はほとんど機能せず、備えのない中で対応を迫られていたのです。

それも、ある意味では当然のことでした。
それまで政府も電力会社も、原発の過酷事故を想定していなかったのです。
過酷事故は起きない。これが、日本の原発立地の基本的な考え方でした。

昨日1日、15年前の事が、改めて重く私の胸にのしかかってきました。
今もなお多くの方が避難生活を続けています。故郷に帰ることを断念した方も大勢います。そして多くの方が亡くなり、今なお見つかっていない方もおられます。

15年目の1日が過ぎ、私は改めて深い悲しみの中にいます。
あの事を、昨日だけの一過性の出来事にしてはならない。
あの時期、政府の一員であった私は、東日本大震災を一生背負っていくのだと思います。

亡くなられたすべての方々に手を合わせ、被災されたすべての方々に深く頭を垂れています。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年3月12日 その6772『逢坂誠二の徒然日記』8469回】

==献金の方法==
■ 銀行・郵便局からの振込み
ohsaka.jp/support.html
■ 選挙ドットコム(カード決済)
go2senkyo.com/donate/agree/123556

また、献金とは別に、noteのチップ機能を通じて、
少額から逢坂誠二を直接応援していただくことも可能です。
note.com/ohsakaseiji

どのような形でも構いません。皆さまの支えが、次の一歩の力になります。ご検討いただけましたら幸いです。

#逢坂誠二 #歩く歩く聞く聞く
#中道 #函館 #五稜郭

  
  

皆様のコメントを受け付けております。

記事に投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です