徒然日記

人権と義務/逢坂誠二 #7769

【24年4月9日 その6072『逢坂誠二の徒然日記』#7769】
昨朝も函館市内で街頭に立ち、その後、挨拶回りを行なってから上京しました。

夜明け前の都内、少し強めの雨が降っています。朝の気温16度。日中も雨で19度程度になる見込みです。散歩に行こうと思いましたが、この雨では断念せざるを得ません。

1)人権と義務
憲法の本質は、国民から国会議員などへの指示書と書きました。その指示の中心は、人権を守れということだと、私は理解しています。

人権とは、人間の権利ですが、それは何なのでしょうか。

私が私であることを保ちつつ幸福に生きることを、公権力等に邪魔されないように定められたのが人権だと理解しています。

ある仕事に就きたいと考えた際、君は身分が低いからダメと言われた場合に、憲法で職業選択の自由があると主張できる、こうした法的力が人権です。

日本国憲法には、人権ばかりで、国民に対する義務規定が少ないと指摘する方もいるようです。

しかし憲法12条に自由及び権利を「濫用してはならない」の規定があります。これは自由や権利を濫用しない義務です。

また13条には、権利は「公共の福祉に反しない」の規定があります。これも人権に対し「公共の福祉に従う義務」あると読めるのです。

今後、仮に人権を増やすような改正議論があった際に、義務を増やさず人権ばかりが増えるなどの批判がある場合には、日本の憲法では、人権と義務は対になっていると反論できるかもしれません。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2024.4.9===
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皆様のコメントを受け付けております。

  1. こんにちは。

    憲法の本質に関わる議論は一丁目の一番地ですね。
    逢坂さんが言われる通り、「憲法の本質は、国民から
    国会議員などへの指示書と書きました。その指示の
    中心は、人権を守れということだと、私は理解して
    います。」であることに異論はありません。

    ところで、「義務」についてですが、課題は誰に
    対する、あるいは何に対す義務かという点にあると思い
    ます。日本国憲法は「人権」の尊重を第一義に謳って
    いますが、それを前提とすると、国民が負うべき「義務」
    は他の国民に対して、つまり「他者の人権」に対してで
    あると考えることが出来るのではないでしょうか。
    決して国家権力(自民党は「公共」という言葉でここを
    誤魔化そうとしていますね)でもなければ、天皇でも
    ありません。

    巷間、”権利ばかりで義務が無い”という人々は、上の
    どちらか、恐らく前者に果たすべき「義務」を言って
    いると思います。しかし、それは「他者の人権」に対し
    果たすべき義務とは両立しません。

    日本の国会では、こうした根本の議論をしないで行き成り
    各論に入ると言う悪弊を有摺り傾向にあるようですが、
    憲法審査会も同じとすれば、結果は、声の大きなものに
    都合の良いものにしかならないでしょう。

    そうならないために、是非、「哲学的議論」をして
    欲しいものです。

    うらべ
    ――――――――――

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