徒然日記
8月12日 その3276『逢坂誠二の徒然日記』(4973)
函館は、スッキリした朝を迎えた。
一昨日から、明らかな気温の変化を感ずる。
1)地元を歩く
昨日は、朝から笹田浩道議とともに
地元を歩き回った。
日頃は、なかなか十分に時間を確保できず、
慌ただしい訪問になることが多い。
昨日は、多少多めに時間をとって、
モヤモヤさまぁ〜ず的に歩き回って、
色々な方から話を伺っている。
昨11日は、お盆の帰省ラッシュ。
山の日ということもあり、
観光地などには、
多くの人が繰り出していた。
日頃は、落ち着いた雰囲気の大沼公園にも
本当に多くの人が訪れ、
すごい賑わいを見せていた。
地元歩きは、
色々なことを学ぶことができ
本当に有り難い。
2)押し付け憲法
現行の日本国憲法について、
安倍総理は「素人が短期間で作った代物」などと、
憲法を揶揄するかの発言を繰り返している。
これは憲法を擁護し、尊重することを義務付けた
憲法99条に反する可能性の高い発言だ、
さらに総理には、押し付け憲法だから
憲法を改正すべきとの主張もあるようだ。
私は、憲法は、改正の必要があり、
国民が合意するなら改正も当然あることだと思っている。
しかし現行憲法を見下すかのような総理の発言は、許しがたい。
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ところで今朝の東京新聞に興味深い記事が掲載された。
戦争の放棄をうたった9条は、
当時の幣原喜重郎首相がGHQ側に提案した
という学説を補強する新たな史料を
堀尾輝久・東大名誉教授が見つけたというのだ。
その記事では
「史料が事実なら、一部の改憲勢力が主張する
「今の憲法は戦勝国の押しつけ」との根拠は弱まる」
と指摘している。
マッカーサーは米上院などで、
9条は幣原首相の発案と証言している。
今回、明らかになった書簡は、
マッカーサーから1957年に
岸内閣の下で議論が始まった憲法調査会の
高柳賢三会長に送ったもの。
高柳氏は1958年12月10日付でマッカーサーに宛てて
「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文を
いれるように提案しましたか。
それとも貴下が憲法に入れるよう勧告されたのか」
と手紙を送った。
マッカーサーから15日付で返信があり、
「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、
幣原首相が行ったのです」
「提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、
首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」
との内容が記されている。
マッカーサーから高柳氏に宛てた別の手紙で
「本条は(中略)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したもの」
ともある。
これら書簡の存在で、
9条は幣原総理の提案との可能性が明確になった印象を受ける。
押し付け憲法論を主張する総理は、どう応ずるのだろうか。
さあ今日も、確実に前進します。
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