徒然日記
1月16日 その1974『逢坂誠二の徒然日記』
夜明け前の都内、気温は零度程度。
街の明かりが空に反射して、
雲に覆われているのが分かる。
一昨日の雪がまだ、
そこかしこに残っており。
歩くには細心の注意が必要だ。
1)自治体議会
昨日は、埼玉県のある市議会会派に依頼され、
今後の自治体にあり方について話をした。
情報公開の重要性や、
政策決定プロセスを
共有すること等について話をしている。
幾人かの方は、
私の日記も読んでくださっているようで、
日記の内容にも触れて欲しいとのリクエストもあった。
熱心に話を聴いて頂き、有り難い限りだ。
2)褒め言葉??
昨日午後は、この間、
忙しくて放置したままになっている
いくつかの手続きを行うなど、
都内数か所を訪問した。
携帯電話ショップで、
高いままになっている料金体系を
使用実態に合わせるなど、
そんなこともして歩いた。
====
「お客さんくらいの年齢で、
携帯のことを、こんなにサクサク話せるなんて
携帯やコンピューターに詳しいんですね。」
「ええ、まぁ…。」
携帯ショップで、
若い店員とこんな会話があった。
====
自分は若い若いと思っていても、
世間様は、それ相応の年齢で、
私を見ているのだということ。
その、それ相応というのは、
PCなどに詳しくない世代…、
そんな年齢なのだということ。
====
若い店員は、
褒め言葉のつもりで話したのだろう。
だが私は、ちょっと複雑だった。
3)マハティールさん
昨15日の朝日新聞の、
マレーシアの首相を22年間務めた
マハティールさんの発言が気になった。
マハティールさんは、
1982年に「日本を見習え」と、
ルックイースト(東方)政策を唱えた方だ。
昨日の紙面では、
「いまや日本の過ちから教訓を得るときだ」
「韓国により多く学ぶ点がある」と苦言を呈している。
インタビューから、幾つかの言葉を拾ってみた。
====
労働に対する真摯な姿勢、
戦後復興への熱意と愛国心、
独自の経営スタイル、
職場での規律を日本から学んだ。
日本が苦境にあるのは、
経済大国への道を切り開いた自らの価値を捨て、
欧米に迎合したからだ。
政府の指導や民間企業との協力関係は
いまや犯罪視される。
われわれが見習ったのは、
現在の日本がやっていることではない。
いまはあなたたちの犯した過ちを
繰り返さないようにと学んでいる。
確かにグローバリゼーションはやってきた。
それは欧米のアイデアであり、
彼らの利益のために考え出された。
日本は国内の状況を斟酌せずに受け入れた。
それまでのやり方とグローバリゼーションを
調和させることに失敗した。
中国は豊かになり、
さらなる富を得るため海に手を伸ばしている。
中国が戦争を欲しているわけではない。
交渉によって解決するほかない。
日本に米軍基地があれば、
中国はそれを脅威に感じる。
日本から米軍の兵器が発射されたら、
と軍備を増強する。
相手の立場から状況を考えてみることも時には必要だ。
(自民党が、自衛隊の国防軍化や
尖閣諸島への公務員常駐などの
政策を掲げたことに対し)
実行すれば、中国はこれまで以上に軍備を増強し、
対抗しようとするだろう。
お互いの挑発がエスカレートし、
ついには戦闘に至るかもしれない。
賢明ではない。
(97年のアジア通貨危機でマレーシアが
IMFの支援を求めなかったことに対し)
IMFを頼らなかったのは、
自国のことは自国で決めるためだ。
(リーマン・ショック、欧州危機に対し)
欧米では、市場が自律的に需給を調整するといって、
政府の規制を嫌う。
だが金融市場はシステムを乱用して回復不能に陥った。
ヘッジファンドが錬金し、
銀行は無理な住宅ローンを貸し付ける。
借り手は払えなくなり、銀行は債務超過で危機に陥る。
強欲の結末だ。
穴埋めに中央銀行が札を刷り、
倒産企業を政府が支援している。
かつて批判してきたことをそのままやっているのだ。
戦後、日本や韓国など
東洋の国々が安く良質な製品をつくるようになった。
欧米は製造業の分野でかなわなくなり、
金融市場に活路を求めた。
サブプライムローン、レバレッジ……。
製品も雇用も生まない。
商いとはいえない、ギャンブルだ。
(米国のいいなりになる
日本政府に不満を表明したことについて)
われわれが見習ったのは、
高い職業倫理で戦後の復興を果たした日本だ。
米国の影響下にある日本ではない。
米国は、(私が唱えた)
東アジア経済会議(EAEC)構想に中国を含めたから、
反対した。
TPPでも中国を除外しようとする。
われわれは東洋の人間だ。
敵をつくるのでなく、
自分たちの問題は自分たちで解決すべきだ。
== 以上、引用終了 ==
マハティールさんの言葉は重い。
このインタビューから、
プラスにもマイナスにも学ぶことは多い。
昨日の日記で、
成人の日の都内豪雪を1997年と書いたが、
あれは1998年の間違い。
1997年度と記憶していた私の勘違いだった。
やはり記憶も、
それ相応の年齢になっているようだ。
気を取り直して、
さあ今日も、しっかりと前進します。
=============
2013・1・16 Seiji Ohsaka
=============
マグマグの送信登録・解除はこちらです。
http://www.ohsaka.jp/magazin/