徒然日記
トマムとヘリポートの思い出 【26年10月18日 『逢坂誠二の徒然日記』8689回】
同じ曲でも、歌う人、演奏する人によって、その表情は実に多彩です。改めてディランの曲の普遍性を感じます。
日本語で歌う真心ブラザーズのカバーは発売当時から好きだったのですが、今回は羽仁知治さんのピアノソロが特に印象に残りました。
中学生の頃から親しんできたこの曲ですが、半世紀以上を経た今、改めて聴くと、また違った味わいがあります。
1)トマムとヘリポートの思い出
トマムを通ると、色々なことを思い出します。トマムからは、本当に多くのことを学びました。観光のこと、地域づくりのこと、そしてヘリポートのこと。
1989年、私は上司からヘリポートの建設を命じられました。
当時、ニセコ町では農村総合整備モデル事業を活用して、農業用ヘリポートの建設を検討していました。ところが、運輸省が公共用ヘリポートの整備を支援する新しい制度を設けたとの情報が入り、事情が一変しました。
この制度は、NTTの民営化に伴う政府保有株式の売却収入を活用するものでした。整備費の30%を国が無利子で貸し付け、その返済時には同額を国が補助するという仕組みです。実質的には、整備費の30%を国が負担する制度でした。
この制度を活用して公共用ヘリポートを建設する方向へと方針が転換され、それまで農業担当が進めていた計画が、急遽、企画担当だった私のところに回ってきたのです。
当時、企画担当は係長の私を含めて、わずか3人。もちろん、土木技師などの技術職員はおりません。
ニセコ町役場には、土木、建築、水道などの技術者はおりましたが、航空関係の技術者など一人もおりません。小さな自治体ですから、それは当然のことです。
そんな役場の、しかもわずか3人の企画担当に、突然、ヘリポートの建設が命じられたのです。
何から手をつければよいのか、見当もつきません。
青天の霹靂とは、まさにこんなことを言うのだと思います。
そこで課長に相談すると、
「企画だけではできない。土木係長に手伝ってもらえるよう、土木課長にお願いしよう」
とのこと。
航空関係の専門家はいなくても、役場の中にいる技術者の力を借りようというわけです。
そこで私は課長と一緒に、土木課長のところへお願いに行きました。
「大変な仕事だな。いいよ、係長に手伝わせよう。しかし、土木係にも本来の仕事がある。それに支障が出ないように頼むよ」
土木課長は、そう言って協力を引き受けてくれました。
土木係のT係長は、私よりも10歳年上でしたが、とても気さくな方でした。SLの転車台建設も一緒に手がけており、気心の知れた間柄です。
とはいえ、T係長は本来の業務もたくさん抱えていました。そこに、専門外のヘリポート建設という大仕事が加わるのです。
結果として、T係長には本当に大変な迷惑をかけることになります。
こうして、企画担当の3人に土木係長の力を借りながら、ヘリポート建設に取り組むことになったのです。
この頃、占冠村では、トマムの公共用ヘリポート建設事業にすでに着手していました。
そこで私は、トマムに何度も足を運び、事業の進め方を学ばせてもらいました。
ヘリポートの建設など、それまで経験したことのない仕事です。分からないことばかりでしたが、先行して取り組んでいる自治体から直接学べることは、本当にありがたいことでした。
実は、このヘリポート建設事業は、その後の私の公務員人生に、大きな財産を残してくれました。
何を学び、何を得たのか。そのことについては、いずれ改めて書きたいと思います。
トマムを通るたびに、あの頃のことが懐かしく思い出されます。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年10月18日 その6992『逢坂誠二の徒然日記』8689回】
#逢坂誠二 #歩く歩く聞く聞く
#函館