徒然日記
公立図書館再考 【26年9月30日 『逢坂誠二の徒然日記』8671回】
振り返れば、今月も本当に色々なことがありました。
迷うことも、考え込むこともありましたが、自分なりにフル回転で走り続けた一か月でした。
明日から10月。
これまでの歩みを振り返りながら、これから何をすべきなのか、何を大切にすべきなのか。
よく考えながら、一歩一歩、歩んでいきます。
1)公立図書館再考
昨日の毎日新聞に、「公立図書館が岐路に立たされている」との記事が掲載されていました。
簡単には、以下のような内容です。
公立図書館では、職員の非正規化が進み、司書など専門職の処遇や人材確保が難しくなっています。また、自治体の財政が厳しくなる中で、図書館の予算も縮小傾向にあります。
記事では、図書館は自治体に設置が義務付けられている施設ではなく、今後さらに厳しい状況になれば、図書館そのものを維持できない地域が出てくる可能性にも触れています。こうした状況から、図書館を将来にわたって維持するため、法的な保護も検討すべき段階に来ているとの指摘が紹介されています。
私は、図書館は単に本を借りる場所ではないと思っています。
図書館は、情報と知の集積場所であり、知を探求する場所です。そして、人々が出会い、交流する場所でもあります。
さらに、図書館には、さまざまなあり方があってよいと思います。
多くの資料を備えた大きな図書館。身近にある小さな図書館。地域の歴史や文化に根差した図書館。特定の分野に強みを持つ専門性の高い図書館。
それぞれの地域、それぞれの目的に応じた、多様な図書館があってよいのです。
そして、こうした図書館を十分に利活用し、その機能をさらに進化させていくためには、子どもの頃から良質な図書館活動に触れることが重要だと考えています。
本を読むだけではありません。本を探す。分からないことを調べる。司書に尋ねる。思いがけない本や情報に出会う。自分で考える。そして、人と交流する。
子どもの頃から、こうした経験を積み重ねることが、図書館を使いこなす力につながります。
私はニセコ町長時代に、「あそぶっく」という小さな図書施設を設置しました。
図書館と呼ぶには、はばかられるほど小さな施設です。しかし、私が目指したものは、単に本を借りるための場所ではありませんでした。
本を中心に、さまざまな活動が生まれる場所。人が集まり、語り合い、いろいろなことを体験する場所。そして、そうした活動を通して、一人ひとりの「知」が広がり、深まっていく場所です。
特に意識していたのは、子どもたちです。
あそぶっくで本や人、さまざまな活動に出会った子どもたちが、その場ですぐに何かを身につけなくてもいい。10年後、20年後、人生のどこかで「あの時の体験はこういうことだったのか」と気づく瞬間があればいい。そんな思いがありました。
だとすれば、政策の効果を、あそぶっくの利用者数や本の貸出冊数だけで評価することはできません。
もちろん、利用者数や貸出冊数も大切な指標です。しかし、それだけでは捉えることのできない価値があります。
今、行政の政策評価ではKPIなど、成果を数値で示すことが重視されています。それ自体には意味があります。しかし、人の知的な成長や、将来の気づき、地域の中に蓄積される知や人とのつながりを、短期間の数値だけで測ることはできません。
図書館には、そうした「すぐには数字にならない価値」があります。
人口減少や自治体財政の厳しさを考えれば、図書館の運営が容易ではないことも事実です。しかし、だからこそ、利用者数や貸出冊数、経費だけでその価値を判断するのではなく、地域社会にとって図書館とは何なのか、これからどのような役割を担うべきなのかを考える必要があります。
図書館は、地域の「知」と、人の将来を支える大切な社会基盤です。
その機能をどう守り、さらに育てていくのか。
今、改めて考える時期に来ています。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年9月30日 その6974『逢坂誠二の徒然日記』8671回】
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