徒然日記
「繰り返さない」と「繰り返させない」 【26年8月16日 『逢坂誠二の徒然日記』8626回】
少し名残惜しさを感じながら、日常へと気持ちを切り替える日でもありますね。私は、今日も朝からフル回転です。
1)「繰り返さない」と「繰り返させない」
昨日、東京で開催された全国戦没者追悼式での高市総理の式辞に、大きな違和感を覚えました。
これまでの式辞と比べると、いくつかの変化があります。
*「反省」という言葉が消えました
*「歴史の教訓」が消えました
*「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」が「繰り返させない」になりました
*「インド太平洋」という言葉が入りました
中でも気になるのが、「繰り返さない」から「繰り返させない」への変化です。
「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」なら、自然な主語は「私たち」「日本」です。
つまり、
私たちは、二度と同じ過ちを繰り返さない。
という自己規律、自己反省の言葉として受け止めることができます。
これに対し、
「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」
となると、使役形です。
そこには、
誰に繰り返させないのか。
という対象が潜在的に生まれます。
もちろん、この一文字の違いだけで高市総理の意図を断定することはできません。
しかし、「反省」と「歴史の教訓」が消え、「インド太平洋」という現在の外交・安全保障を想起させる言葉が入ったことも合わせて考えると、式辞の重心が、
「過去を省みて、自ら戦争を繰り返さない」
という自己反省から、
「これから戦争の惨禍を起こさせない国になる」
という未来志向へ移っているように感じられます。
もちろん、未来を語ることは必要です。
しかし、過去への反省を薄めることと、未来を語ることは別問題です。
むしろ、過去を正確に認識することによってこそ、未来への誓いに説得力が生まれると、私は考えます。
また高市総理は1995年、国会で、
「私自身は当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりません」
と発言したと報じられています。
もちろん、戦後生まれの人間が、自分自身が行っていない行為について個人的な罪を背負うということではありません。
しかし、個人としての罪と、国家として歴史を引き継ぐ責任とは別です。
現在の日本国民が、81年前の戦争について個人的な罪を負っているわけではありません。
しかし政府は、国家として過去の歴史も外交関係も継承しています。
だからこそ首相の式辞における「反省」とは、
「あなた自身が戦争をしたのだから反省しなさい」
という意味ではなく、
「国家として過去の行為を検証し、その教訓を次の世代へ引き継ぐ」
という意味を持つはずです。
戦争の惨禍は、自然災害のように突然やってきたものではありません。
政治の判断によって始まり、政治の判断の積み重ねによって拡大しました。
だから政治に携わる者が8月15日に考えるべきなのは、犠牲者への追悼だけではありません。
政治はなぜ戦争を止められなかったのか。
政治はなぜ国民を戦争へ導いたのか。
その過ちを繰り返さないため、現在の政治は何をすべきなのか。
この問いを持ち続けなければならないと思います。
そして、「繰り返させない」という言葉を聞いて、私は憲法前文を思い起こします。
憲法前文には、
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」
とあります。
憲法がまず戒めているのは、他国ではありません。
私たち自身の政府です。
「繰り返さない」と「繰り返させない」。
わずか一文字の違いです。
しかしそこには、戦争を誰の問題として捉えるのかという、決して小さくない違いが表れている。
私はそう感じています。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年8月16日 その6929『逢坂誠二の徒然日記』8626回】
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