徒然日記

民主主義の危機は静かに始まる【26年6月13日 『逢坂誠二の徒然日記』8562回】

去年の打ち上げ失敗からの再起をかけたH3ロケットの6号機が、計画どおり6つの小型衛星を軌道に投入して打ち上げは成功しました。安堵しています。

1)民主主義の危機は静かに始まる

*理念なき衆議院定数45削減法案
*定義の曖昧な国旗損壊罪
*不十分な再審法改正法案
*監視も検証もできない国家情報会議
*立憲主義に反する憲法改正議論
*大半を予備費に計上する補正予算
*激減した予算委審議時間

高市内閣になって、特に2月の総選挙以降、こうしたことが一瀉千里で進められています。

こうした動きを見ていると、権力の濫用について改めて考えさせられます。
私はこれまで政治に携わる中で、多くの政治家や官僚と接してきました。その多くは真面目で、国や地域のために働こうとしている人たちです。しかし、だからといって権力の濫用が起きないわけではありません。

民主主義の歴史が教えているのは、権力の濫用は悪意のある人だけによって起きるのではないということです。
「国のため」「社会のため」「効率化のため」

そんな大義名分のもとで、少しずつ権力への監視や検証が弱められ、結果として国民の自由や権利が損なわれることがあります。

私自身、権力について考える原点となる経験があります。
私は35歳まで公務員として働いていました。役場に勤めている間は気づかなかったのですが、公務員という立場そのものが一定の権限を伴う存在であることを強く実感したのは、退職して一人の町民となり、町長選挙への準備を始めた時でした。
それまで同じ組織の仲間だった職員の皆さんは、何も変わっていません。しかし、私の立場が変わったことで、見える景色が大きく変わりました。
行政組織には法令に基づく権限があります。そのこと自体は当然であり、必要なことです。しかし、その組織の内側にいる時には見えにくかった「権限を持つ側」と「権限の影響を受ける側」の違いを、私は初めて実感しました。
この経験は、権力とは誰か特別な人が持つものではなく、制度や組織そのものに宿るものだということを私に教えてくれました。

だから民主主義は、人を信じるだけではなく、制度によって権力を縛る仕組みを作ってきました。

国会での十分な審議。
行政への監視。
情報公開。
司法によるチェック。
そして自由な言論。

これらはすべて、権力の濫用を防ぐための仕組みです。
ところが最近の政治を見ると、私は少なからぬ危機感を抱いています。
国会審議の時間は短くなり、予備費への依存が強まり、監視や検証の仕組みが十分とは言えない制度も次々と導入されています。

提案する側には、それぞれに個別の理由があるのでしょう。
しかしそれら全体を通して見えるのは、権力を監視する仕組みが弱くなっていることです。

民主主義にとって本当に危険なのは、ある日突然、自由が失われることではありません。
監視や検証の仕組みが少しずつ弱まり、その変化に慣れてしまうことです。
私は、今の政治にそんな危うさを感じています。

権力を持つ人を信頼することは大切です。
しかし、それ以上に大切なのは、誰が権力を握っても濫用できない仕組みを維持することです。
だからこそ私は、国会審議の時間や情報公開のあり方、行政への監視機能といった、一見すると地味な制度や手続きにこだわります。

民主主義の危機は、いつも静かに始まります。
だから私は、今の状況を空恐ろしく感じるのです。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年6月13日 その6865『逢坂誠二の徒然日記』8562回】

#逢坂誠二 #歩く歩く聞く聞く
#函館

  
  

皆様のコメントを受け付けております。

記事に投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です