徒然日記
文学と論理国語【26年5月31日 『逢坂誠二の徒然日記』8549回】
1)文学と論理国語
高校の国語の教科書における文学作品の扱いが議論になっています。
社会の中で、論理的に物事を考え、表現し、伝える力は極めて重要です。そのため現在の高校国語では、以前に比べて実用的な読解力や表現力を養うことに重点が置かれるようになっています。
しかし、人間の営みはすべてが論理で割り切れるものではありません。むしろ、論理だけでは説明できないことの方が多いのではないでしょうか。
人には、それぞれ異なる心の動きがあります。言葉にしようとしても十分に表現できない感情や、なぜそう感じるのか自分でも説明できない思いを抱くことがあります。私たちは、そうした自分自身の複雑な感情を受け入れながら生きています。
また同時に、他者にも自分とは異なる感情や価値観があります。私たちは、それらを認め、ときには戸惑いながらも、一定程度許容し合うことで社会を成り立たせています。
自分や他者の中にある、論理だけでは説明できない感情こそが、人間を人間たらしめているものかもしれません。もし人間の感情がすべて論理的に説明できるものであれば、それはすでに人間というよりも機械に近い存在でしょう。
私は、この論理では説明しきれない感情とうまく共存することが、人間の活力であり、生きる原動力ではないかと感じています。
しかし、その感情とどう向き合い、どう共存するかは簡単なことではありません。
過去から現在に至るまで、無数の人々の喜びや悲しみ、苦悩や葛藤、そして説明し得ない心の動きが積み重ねられてきました。その一つひとつは異なり、人間の感情や経験のあり方は、まさに無限大と言ってもよいほどの広がりを持っています。
私たちは、その無限大の世界に触れることによって、自分一人では決して到達できない新たな心の地平を拓くことができます。
私は、文学とは、そのような無限大とも言える人間の感情や経験の蓄積の一端を言葉によって表現したものだと理解しています。
小説や詩を通じて、私たちは自分とは異なる人生や境遇、考え方や感情に出会うことができます。それは単なる読解力の訓練ではなく、自分自身と他者を理解しようとする心を養う営みでもあります。
もちろん、論理的な思考力や表現力は欠かせません。しかしそれと同時に、人間の複雑さや多様さを理解する心もまた、社会を支える大切な力です。
国語教育には、論理と、論理だけでは説明しきれない人間の心の双方を育む役割があると私は考えています。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年5月31日 その6852『逢坂誠二の徒然日記』8549回】
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