徒然日記
高校の放送局【26年4月1日 『逢坂誠二の徒然日記』8489回】
今日から新年度。新しい年の始まりである新年以上に、生活を取り巻く制度や仕組みが変化する潮目の日です。また学校や職場の環境が変わる方も多いと思います。良い年になるよう、前向きに取り組んで参ります。
1)高校の放送局
先日、函館市内の高校の放送局が日頃の活動内容を発表する場に参加させていただきました。
コンクール出場に向けたアナウンスや、制作されたビデオ番組を拝見し、その真摯な取り組みに強い感銘を受けました。生徒たちは街に出て人の話を聞き、そこから原稿を書き、さらにそれをもとに番組を制作しています。決して派手な活動ではありませんが、こうした積み重ねは、やがて自分自身の血となり肉となるものです。その姿は、実に頼もしく、そして感動的でした。
一方で、放送局のような文系の課外活動は、スポーツに比べて評価が低く見られがちな現実もあるようです。それでもなお、地道に努力を重ねる彼らの姿に触れ、心から応援したいという思いを強くしました。
そんな光景に触れながら、自分の高校時代のことを思い出しました。
当時、私は陸上部、演劇部、そして放送局に所属していました。陸上部は家庭との関係もあって途中で退部せざるを得ず、今でも少し悔いが残っています。演劇部もほとんど参加できず、いわば幽霊部員のような存在でした。
しかし、放送局での活動は実に楽しいものでした。
NHKのアナウンスコンクールに出場したり、ラジオ番組を制作したりと、自分なりに工夫を凝らす日々でした。毎朝と昼の校内放送では、どうすれば多くの生徒に聴いてもらえるか、関心を持ってもらえるかを常に考えていました。
当時の放送は、お知らせや注意事項に加え、クラシック音楽が中心でした。しかしそれだけではなかなか耳を傾けてもらえません。そこで、放送開始のジングルを自分たちで制作したり、選曲の幅を広げたりと、さまざまな工夫を試みました。
もちろん今のようなデジタル機器はありません。テープを使って多重録音を行うなど、当時の機材を駆使して音を重ねていきました。手間はかかりましたが、その分、完成したときの達成感は格別でした。
音楽もクラシック一辺倒から、日本の歌謡曲、ロック、ジャズへと広げました。江差追分を流したこともあります。
チューリップの「銀の指輪」をかけた際には、「歌詞が過激だ」として職員室に呼ばれ、注意を受けたこともありました。「君を抱いていたい」という一節が問題だったようです。今となっては、時代の空気を感じさせる出来事です。
一方で、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」は生徒たちからの評判も良く、あの12弦ギターの印象的なイントロが、古い木造校舎の壁や天井に静かに染み込んでいくような感覚が、今でも心に残っています。
放送局の活動は、単に音を流すことではなく、どうすれば人の心に届くのかを考える営みでした。先日の高校生たちの姿を見て、その原点を改めて思い出しました。彼らのこれからの歩みが、実り多いものとなることを心から願っています。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年4月1日 その6792『逢坂誠二の徒然日記』8489回】
==逢坂誠二への献金==
■ 銀行・郵便局からの振込み
ohsaka.jp/support.html
■ 選挙ドットコム(カード決済)
go2senkyo.com/donate/agree/123556
また、献金とは別に、noteのチップ機能を通じて、
少額から逢坂誠二を直接応援していただくことも可能です。
note.com/ohsakaseiji
どのような形でも構いません。皆さまの支えが、次の一歩の力になります。ご検討いただけましたら幸いです。
#逢坂誠二 #歩く歩く聞く聞く
#中道 #函館