徒然日記

22年7月18日 その5442『逢坂誠二の徒然日記』(7139)

昨朝も今朝も、参院選で全国を飛び回っている夢で目が覚めました。

選挙戦が終わって1週間以上が経過しましたが、気持ちはまだ高ぶっています。

昨日は、やり残している懸案事項に取り組みましたが、
まだ半分も進んでおりません。

今日中になんとか方をつけたいと思います。

都内の朝の気温は24度位、日中は30度をこえる見込みです。

1)教育
今の日本のあらゆる課題を解決する鍵は、
教育に力を入れることだと私は確信しています。

教育に即効性はありませんが、教育に力を入れることで、
10年後、 20年後の社会が確実にしっかりしたものになる。

私はそう確信しております。

しかし教育に力を入れると言っても、力の入れ方を間違うと逆効果です。

今の日本は、教育全体への予算の使い方が少ないばかりか、
力を入れる方向が間違っています。

すぐ役に立つ教育とか儲かる教育、この有用性は否定しませんが、
ここに力点を置きすぎると、当然ながら目先の利益に左右され、
中長期的にものを考えることのできない安易な社会になると私は懸念しています。

大事なのは、考える力、つまり論理的に道筋を追って課題に対する結果を導き出す力や、
物事を心に深くかつ穏やかに受け止める力を養うような教育が必要だと私は考えています。

そのために、文化芸術、文学、数学、物理、コミュニケーションや表現する力、
こうした教育に力を入れなければならないのです。

『文藝春秋8月号』に掲載の作家で数学者の藤原正彦さんの
「的外れにつぐ的外れ」と題する随筆はまさに私の思いに近いものでした。

==以下、抜粋引用==

数学離れや読書離れの理由は「我慢力の欠如」。
数学や読書にはテレビやインターネットに比べ忍耐が必要。

欧米に比べ起業する人間が少ないから、小中高で企業の仕方や素晴らしさを啓発する。
米英人の基礎学力の低さは目を覆うばかりなのに、なぜ米英の教育を真似るのだろう。

小中高での「金融教育」も始まった。これもアメリカの真似だ。
教育者たちは「小学生たちが新聞の経済欄、株式欄に目を通すようになった」
「社会への目が開かれた」と自画自賛している。付ける薬がないとはこのことだ。

小学校の英語教育は2020年に3年生から必修となった。
母国語を確立するための最重要な時期に外国語を教える意義はどこにあるのか。
愚民化政策と言えよう。

国際学力調査(PISA)における、日本の生徒の読解力低下が問題となっている。
PISAの読解力問題は評論と、説明書、法令、契約書など実用文の読解が主である。

高校2、3年生の国語の現代文が変わる。
文学国語もしくはPISAの実用文読解に見合った論理国語の選択になる。
大学入試では評論が頻出するから大半の生徒が論理国語を選択すると予想される。
実用文の正確な理解は大切だが、日本独自の繊細な感受性は我々の宝物だ。
それらがなおざりにされることになれば大問題である。

2024年にはデジタル教科書が本格的に導入される。
紙の教科書に比べ記憶定着で劣るという重大な研究報告がある。

家庭における蔵書数と子供の学力は見事に相関している。
親が本を読むと子供も本を読み、読解力がつくから学力も上がるという当然の結果だ。

紙の本への愛着の欠如は、活字文化の衰退につながり、
ひいては国民の学力や教養を衰退させ国家を衰退させる。

初等教育の本質は、多くの童話、物語、小説、詩などを読み
感動の涙をできるだけ多く流すことにある。
「自ら本に手をのばす子を育てる」につきる。

ここ十数年の教育改革のほぼすべては、PISAの成績に依拠した、
財界や経産省のイニシアティブによるものだ。
二十年余りもデフレ不況を脱却できない無能な政府が、
藁をも摑む気持でこういった勢力にすがっている。

教育の目的は企業戦士を育てることではない。人間を育てることである。
まずは高い基礎学力そして豊かな教養や情緒をもった立派な人間を育てることだ。

==以上、抜粋引用終了==

藤原さんの指摘も踏まえつつ、教育の問題をさらに考えたいと思います。

2)日記の限界
この日記は1997年から開始しています。

しかし最近のネット上に流通する情報の実態や、
若い皆さんを中心とする情報媒体への接し方を見ていると、
この日記方式がものを伝える上での限界に来ている感じています。

ある種の取り組みであることは確かですが、
もう少し伝え方に工夫しなければならなりません。

そう思いつつも、この方式から逃れらないジレンマに陥っています。

さあ今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2022.7.18===

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皆様のコメントを受け付けております。

  1. こんにちは。

    藤原氏の言われる「的外れにつぐ的外れ」、その通りだろうと思います。
    諸学校から大学まで、愚策に次ぐ愚策の連鎖。しかも20年以上続いています。
    衰退途上国になるのは必然です。
    ―(引用)―――――――――――――――――――――
    小学校の英語教育は2020年に3年生から必修となった。
    母国語を確立するための最重要な時期に外国語を教える意義はどこにあるのか。
    愚民化政策と言えよう。
    ―(終わり)――――――――――――――――――――
    過日、小学校6年生の英語の教科書を見ながら小学生に英語の授業内容を
    聞く機会がありました。その生徒によれば、先生がテープを流して、皆で、
    それを聞いているだけと言う返事。時間の無駄です。
    よもや、と思い、知人の子の高校生に聞いてみますと、英語のコミュニケーション
    の授業は、先生がテープを流して、生徒が唱和するだけとの由。

    噴飯モノですね。愚策に次ぐ愚策の連続。大学教育も含め、もう20年以上
    続いているのではないでしょうか? 衰退途上国から衰退底辺国へ真っ逆さま
    と言えるような気がします。

    この流れは、40年くらい前から、政府の審議会などの会長職を経済人たちが
    務めることが多くなり、いつの間にか当たり前となった時代から始まっている
    ように感じています。一朝一夕で解決する問題ではないと思いますが、
    自民党の現今の教育政策では、泥沼からは抜け出られないでしょう。

    (追伸)
    2)日記の限界
    この日記は1997年から開始しています。
    しかし最近のネット上に流通する情報の実態や、
    若い皆さんを中心とする情報媒体への接し方を見ていると、
    この日記方式がものを伝える上での限界に来ている感じています。
    吻飯モノですね。衰退途上から衰退底辺国へと流れが一段と強くなっている
    気配に感じます。
    ―――――――――――――――――
    とのことですが、これもまた、字を読み書く事の忍耐が出来ない若者が
    大数を占めるが故ではないでしょうか?
    事は深刻です。

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