徒然日記
21年8月24日 その5114『逢坂誠二 の徒然日記』(6811)
今日、党のコロナ本部会議が開催されるため、
昨日午前、函館市内で活動後、上京しました。
1)公文書管理
昨日の北海道新聞の社説は公文書管理に関する内容でした。
タイトルは、「公文書管理 記録検証できる体制を」です。
この社説では至極当たり前で、極めて重要な次の指摘をしています。
「公文書そのものが作成されなければ、政策決定の過程を検証できない。」
公文書を改竄したり、隠蔽するのは当然やってはならないことなのですが、
日本の公文書管理の最大の問題点は、公文書作成に関するルールが極めて希薄なことです。
そもそも「何を」「誰が」「どう記録するか」、この視点がスッポリ抜け落ちています。
多少の言及はあるものの、いくら指摘しても、
この点を深く掘り下げることが行われません。
私から見ると、あえてこの論点を外しているようにも思われます。
公文書をどう作成するか、ここが十分でなければ、
作成後の管理をいくら厳格にしたところで、
その公文書は歴史の検証に堪えうるものにはなりません。
アメリカでは、大統領が、どの部屋で何時に誰に電話をしたか、
このようなことまで記録したものを公文書としています。
日本とアメリカ等諸外国の公文書作成は、月とスッポンほども差があるのです。
道新の社説でも次の指摘をしております。
「公文書の作成ルールの見直しについては、踏み込み不足の印象が拭えない。」
全く指摘の通りなのですが、これまでの政府の対応を見ていると、
公文書の本質に関わる部分をあえて避けているとしか思われません。
コロナ対策の政府方針を事実上決定する
5大臣会合の記録も残されているか不明なのですが、
政府は、法に基づく会議ではないことを理由にしています。
こんな言い訳が通用するならば、
公務員の日々の活動の大半は記録しなても良いことになります。
こんな出鱈目をやりながら、
公文書作成後の管理をいかに厳格にしても、意味がないのです。
日本の公文書管理を進化させるためには、
行政等の諸活動をどう記録するか、
ここの議論を継続的に行わなければなりません。
今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2021.8.24===