徒然日記
10月8日 その1890『逢坂誠二の徒然日記』
函館は快晴の朝を迎えた。
その分、気温がぐんと下がって、
ついに10度を切り、8度程度となっている。
道内では氷点下となった地域もある。
そういえば、今日は寒露だ。
日中も晴れ間が広がり、
気温は21度まで上がる見込みだ。
昨日も、北斗、函館市内を走り回った。
色々な方にお世話になった。
感謝、感謝の日々だ。
1)函館男声合唱団
7日午後、カトリック湯川教会聖堂で開催された、
函館男声合唱団の演奏会にお邪魔した。
この合唱団では、
私の事務所の島秘書が指揮者を務めている。
バタバタしたかなでの訪問だったが、
ちょっと大げさに言えば、
緊張と喧騒の連続の中で、
一服の清涼剤になった。
10曲ほどが演奏されたが、
南安雄さんの
男声合唱組曲「子供の詩」と、
「星のまちHakodate」が非常に気に入った。
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南安雄さんは、
今年8月、函館市内の病院で亡くなっている。
自宅は七飯町大沼だ。
昨日の「子供の詩」は、
追悼の意味も込めて聞かせて頂いた。
「星のまちHakodate」は、
新井満さんが作詞作曲した、
函館野外劇のテーマソングだ。
いつも野外劇公演の最後に全員で合唱されている。
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昨日は、男声合唱団の実力を改めて認識したが、
あわせて湯川カトリック教会聖堂の音響も非常に良く感じた。
男声合唱の高音から低音までの各パートが、
クリアに重層的にバランス良く耳に届く。
目を閉じて聞いていると、
各パートが、
こんがりと焼き上げたパイのように重なり合って、
実に心地よい。
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でも昨日のハイライトは、島指揮者の合唱指導だった。
最後には、、
観客も含めて全員で「ふるさと」を歌った。
その歌の前に、
合唱指導があったのだが、
島指揮者の指導によって、
我々観客側があっと言う間に
コーラス隊のように歌うことができたのだ。
しかも何の苦痛もなく楽しく、
まるで合唱団の一員のようになったのだ。
島指揮者の指導ぶりには舌を巻いた。
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何とも楽しい、心安らぐ1時間だった。
合唱団の皆さん、教会の皆さん、
有り難うございます。
2)原子力ゼロに向けて
この春から夏にかけて、
政府が幾つかの手法によって、
原子力に対する国民の意向を調査した。
それによれば、
半数以上の国民が、
原子力ゼロ社会を望んでいることが
明らかになったものと思う。
昨年3月11日以降の、
原子力事故を取り巻く、
この国の惨状を見れば、
国民のその思いは当然のことと思う。
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私は、以前から、
原発に対し賛成・反対の二項対立とは別な視点から、
原子力政策は破綻していると、
幾つかの場面で主張してきた。
住民避難も含めた安全対策、
原発の立地構想から稼働までの過程、
万が一の事故の際の対策など、
これらのそれぞれの段階で、
政策として無理がある、
あるいは確立されていないと指摘していた。
当然、昨年3月11日以降、
私のこの思いはより強い思いとなり、
一日も早く原子力ゼロ社会を
実現しなければならないと考えている。
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その実現には、大きな負担やコストが伴う。
見通しが不十分な中で原子力ゼロを声高に叫べは、
その負担の多さゆえに原子力ゼロが頓挫し兼ねない、
そんな危険が孕んでいることも、我々は知らねばならない。
これが、
アントニオ・ネグリが指摘する
原子力社会の怖さだと私は感じている。
原子力ゼロを実現するための確実な工程を、
それによる負担とともに国民の皆様に提示し、
その負の遺産を受け入れる覚悟を、
国民の皆様とともに、
早急に持てるようにすることが必要だ。
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原子力ゼロの最大の課題は、
使用済核燃料と廃炉の処理だと指摘されることが多い。
これは原子力ゼロの課題ではない。
原子力を稼働している今であっても、
この二つは我々が直面している課題であり、
今はただ単にこの問題を先送りしているに過ぎない。
原子力ゼロになったからといって急に浮上する問題ではなく、
原子力に手を染めた段階で発生した、
仮に原子力を使い続けていたとしても、
いずれは解決しなければならない重要な問題だ。
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脱原子力依存、
あるいは原子力ゼロ実現のために
乗り越えなければならない課題として、
現時点で次のようなことが頭をよぎる。
・
立地自治体への対策
現在の立地自治体の地域づくりや経済活動は、
多額の交付金や
原子力発電所の活動などによって形づくられている。
この現状から、どう次の段階に移るのかについて、
納得できる用意周到な工程がなければならない。
・
節電対策
原子力ゼロにするためには、
ある一定程度の節電努力が必要になる可能性がある。
その際、弱者や中小企業をはじめとする
数多くの活動への対策をどうすべきか。
・
再生可能エネルギーなど、代替エネルギー対策
代替エネルギーの開発を加速させる手順とコスト。
・
化石燃料価格対応
原子力依存から脱却するための一時期、
化石燃料の使用量が増える可能性があり、
価格高騰対策が必要
・
送電網の整備
大規模集中型と自律分散型の
双方の発電システムを併存させるためには、
送電網の整備が必要
・
発送電分離や電力会社のあり方
不良債権化する原子力発電所負債をどう処理するか、
地域独占の電力会社で良いか、
発送電分離が必要かなど、
電力供給の仕組みを見直す必要
(不良債権化した場合の緊急との関係も課題となる)
・
核不拡散など安全保障上の取り組み
・
原子力技術の維持発展と技術者の確保
・
原子力への新規参国を含む諸外国との関係
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原子力を止めるためには、
今、ざっと思いつくだけで相当程度のコストがかかる。
(もっと論点はあると思うし、いずれさらに整理したい。)
原子力依存から脱却するためには、
このように社会全体に膨大なストレスをもたらす、
これが原子力社会の恐ろしさなのだ。
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原子力依存から短期間で抜け出そうとすると、
我々の社会が一時期に多額の
コスト負担をしなければならない。
このコスト負担を減らそうとすると、
原子力への依存時間が長くなるおそれがある。
・
原子力政策維持であっても膨大なコストがかかるうえ、
現状でも破綻状態といえる
(特に使用済核燃料や廃炉の処理は先送り状態)
・
脱原発を進めるためには、
原発依存から脱原発による変化を補うためなどに
新たに膨大なコストがかかる
・
この膨大なコストを減らすためには、
原発依存期間が長くなる可能性もある
国民の皆様にこうした現状をご理解頂き、
原発ゼロを目指して、
この難しい方程式にどう解を見つけるのか、
その道筋を決めるのが政治の役割だ。
(もちろん原子力は過渡的エネルギーであり、
ウラン埋蔵量にも限界がある。
いずれは原子力ゼロ社会のなるのだから、
これらのコストは、いずれは社会全体で
負担し合わなければならないものであるのは間違いがない。
使用済核燃料や廃炉の処理コストは、
原発に依存しようがしまいが、
常に意識しなければならないコトスなのは、
前述したとおりだ。)
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今、我々がすべきこと。
・
原子力ゼロという覚悟を明確にすること
・
それによる課題を整理すること
・
その課題を克服し、
原子力ゼロに至る納得できる工程を
国民の皆様に情報公開しながら、
樹立すること
====
こんなことを思いつつ、
秋晴れの函館、体育の日の朝を迎えた。
私のこの思いには、
まだまだ不十分なところがあるだろう。
しかし政府は、是非、この方向で、
早急に取り組みを開始すべきだし、
その土壌は十分にできている。
政府だけの取り組み頼ることなく、
党や超党派の議員などでも、
こうした政府の取り組みを後押しできるよう、
全力をあげる必要がある。
今日は下弦の月だ。
美しい月を愛でることができるだろうか。
さあ今日も、しっかりと前進します。
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2012・10・8 Seiji Ohsaka
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