徒然日記
高市総理と権力 【26年7月21日 『逢坂誠二の徒然日記』8600回】
1)高市総理と権力
権力とは、人にルールを守らせたり、命令したり、従わせたりすることができる力です。権力者とは、その力を持っている人です。
ところが「権力者」という言葉には、偉そうな人、権力を乱用する人といった、どこか悪いイメージがあります。
そのため、「あなたは権力者ですか」と問われれば、多くの人は「違います」と答えるでしょう。
だから、国会議員や総理大臣であっても、「あなたは権力者ですか」と問われて、「はい、私は権力者です」と答える人は多くないと思います。
日常会話としては、それで不思議はありません。
しかし、憲法の世界では話が違います。
国は、法律を作り、税金を集め、警察や裁判を通じてルールを守らせる力を持っています。これが国家の権力です。
そして、その権力を行使する立場にある人たちが、憲法上の意味での権力者です。国会議員、大臣、裁判官、公務員などがこれに当たります。
私が危惧するのは、本来、国家権力を行使する立場にある者が、憲法上の権力者としての自覚を十分に持っていない場面があるように感じることです。
日常用語としての「権力者」という言葉が持つ否定的なイメージも、その一因なのかもしれません。
自らが権力を行使する立場にあるという自覚があれば、おのずと自らを律し、憲法や法律による制約を常に意識するようになります。しかし、自分は権力者ではないという意識が強くなれば、その歯止めは働きにくくなるおそれがあります。
だからこそ、日本国憲法は、国家権力を行使する立場にある者に対して、憲法を尊重し擁護する義務を課しています。憲法99条です。
また国家権力はもちろんですが、企業の社長や役員、学校の校長、大学の学長、病院長など、他者に大きな影響を与える立場にある人は、自らの権力や権限の大きさを自覚する必要があります。自分の力の大きさを自覚しなくなったとき、人は知らず知らずのうちに他者の自由や尊厳を傷つける危険があります。
私は、権力を持つ者が、自らの権力の強さや大きさを十分に自覚しなかったために、問題が生じた例をいくつも見てきました。
その一つが、官僚の忖度をめぐる問題です。
政治家が「そのような指示はしていない」「そんなつもりではなかった」と説明しても、行政の側が「これは総理や大臣の意向だ」と受け止めて動くことがあります。
本人は単に希望や考えを述べただけであり、命令したつもりはないのかもしれません。しかし、総理や大臣の言葉は、その立場の重さによって、周囲には事実上の命令として受け止められることがあります。
本人が命令したと思っていなくても、周囲には命令として作用してしまう。
これが権力の持つ力であり、同時に、その怖さでもあります。
だから権力を持つ者は、自分が何を命じたかだけではなく、自分の言葉や態度が周囲にどのような影響を及ぼすかまで、自覚しなければなりません。
私は、高市総理のこれまでの言動を見ていると、自らが持つ権力の強さや、その言葉が周囲に与える影響を、十分に自覚しているのだろうかと強い疑問を感じます。
総理大臣は、日本で最も強い公権力を行使する立場にあります。その人物に権力者としての自覚が十分でなければ、本人が直接命令しなくても、周囲がその意向を先回りして受け止め、行政や政治が誤った方向へ動くおそれがあります。
私は、そこに極めて大きな危うさを感じています。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年7月21日 その6903『逢坂誠二の徒然日記』8600回】
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