徒然日記
23年2月6日 その5644『逢坂誠二の徒然日記』(7341)
1月30日:PCR陰性(昨日の日記の31日は誤り、 30日が正しい日付です。)
2月
2日:PCR陰性。夜、喉にちょっとした違和感
3日:朝、発熱38.5度。抗原検査(陰性)。PCR 検体採取。自宅静養。ロキソニン
4日:朝、38度程度。再度の抗原検査(コロナ陽性、インフル陰性)、3日分PCR(陽性判明)、ロキソニン
5日:朝、 37度程度。喉の痛み、鼻水は継続。ロキソニン
6日:朝、36.7度。喉の痛み、鼻水は継続。ロキソニン。(平熱に戻った感じがし、快方に向かっています。しかし喉の痛み、鼻水は相変わらず。顔も頭もボーッとした感じです。)
2日のPCRが陰性で翌3日に発症、こんなことがあるのですね。インフルとコロナ、両方がチェックできる抗原検査キット( 2,400円だったと思います。)を準備していたことが若干の安心に繫がりました。
1)バックカントリー
全国で、スキー場のコース外(バックカントリー)での事故が相次いでいます。30 年以上前のニセコでもコース外滑走での事故が結構発生していました。事故の通報がある度に、私も役場職員として現場で行方不明者の捜索に当たりました。長い鉄の棒を雪崩で固くなった雪面に突き刺して人を探します。不謹慎ですが、その段階では生存の可能性はほぼゼロで、捜索は遺体探しと同義です。もちろん二次災害(再度の雪崩など)を覚悟しながら、極めて条件の悪い中での捜索です。私が何度、捜索に出動したか記憶は定かではありませんが、雪崩の捜索で生きて保護された方はいなかったと思います。 30歳頃までこんなことを繰り返していました。
そんな中、ニセコ町在住の新谷暁夫さんが、雪崩に関する情報を発信しようと独自の取り組みを開始しました。詳細は新谷さんのいくつかの記録に譲りますが、当初は批判もあり、なかなか厳しい船出でした。その後、私がニセコ町長に就任し、情報発信に要する経費の補助を僅かですが開始しました。この公的支援には、情報に対する責任は誰が取るのか、情報は確実なのか、そのようなことに公金を使って良いのかなどの批判も多々ありました。しかし1 件でも事故を減らしたいと思いからの支援でした。その後、新谷さんとも何度も話し合い(激論し、喧嘩し)、ニセコ雪崩情報、ニセコルールとして確立させることになったのです。
気象庁からは法律に反するなどのクレームも付きましたが、ローカルルールであることなどを説明しなんとか乗り越えました。また情報に対する責任論も相変わらず、特にマスコミから、ありました。私は、食中毒警報が出ていない場面で、食中毒になったからといって保健所に文句を言う人はいないなどと説明し、ここも何とか納得をしてもらいました。ニセコルールが確立してから20 年ほどが経過します。この間、ニセコ山系での事故は激減し、死亡者はほぼゼロだと思います。(先日の羊蹄山の事故は、ニセコルールの適用外の地域です。)ニセコルールの効果はてきめんです。もちろん立役者は新谷暁夫さんです。今シーズンの全国的なバックカントリー事故多発の中で、ニセコの取り組みを踏まえつつ、何らかのことができないのか、検討したいと思います。
冒頭に書いたとおり解熱鎮痛剤の効果もあり平熱に戻りつつありますが、咳、鼻水が続いています。朝から晩まで自宅にいる貴重な機会です。しかし本を読んでも新聞を読んでも集中できず、あまり効率が良くありません。せっかくの時間を無駄にしていると思うのですが、逆に悪あがきが無駄の様です。静養に専念すべきです。それが最大効果的なことのようです。
今日は衆院予算委の一般的質疑7時間です。無理をしない範囲でネットで視聴します。
さあ今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2023.2.6===
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こんにちは。
徹底して直してから日常に戻ることが重要です。
後遺症に悩む人たちの多くは、治りきらないうちに
日常に戻ろうとしたとの報告があります。
うらべ
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